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愛の勝利者ヤコブ 19

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

イサクの嫁選び②

 この娘こそやがてイサクの嫁となるリベカであった。リベカはすぐに家に走って帰ってこのことを家の者に告げた。リベカにはラバンという一人の兄がいたが、リベカからこの話を聞き、エリエゼルからの豪華な贈り物を見ると目を光らせて、すぐにその井戸の所まで迎えに出た。

 「主に祝福された人よ、お入りください。らくだの分まで場所をすべて準備しておきました」

 そこで一行はその家に入り、ラバンはらくだの荷を解くとともにわらや飼い葉を与え、老僕とその従者たちの足を洗わせ、その前に食事を供した。するとエリエゼルはまずその前にと、主人アブラハムから託された用向きと、井戸の所で神から導かれたとしか考えられないリベカとの奇遇について事細かに話をした。

 父ベトエルと兄ラバンは、こう言った。

 「この事は主から出たことですから、わたしどもがそのよしあしを言うべき筋合いのものではございません。主のおぼしめしどおり、すぐリベカをお連れになってあなたのご主人のお子様イサクの妻にしていただけたら、これ以上の光栄はございません」

 この大役が果たして自分に務まるものかと心配し続けてきたエリエゼルは、事がこんなにも順調に運んでいくのを見て地にひれ伏し、主をたたえ、再び心からの感謝の祈りをささげた。そうしてさっそくらくだに積んできた金銀の飾りや美しい着物を贈り、その兄と母にも数々の高価な品々を与えた。

 ここで不思議に思われるのは、一連の聖書の書きぶりである。リベカがエリエゼル一行のことを聞きにいった時、父ベトエルではなく兄ラバンがすべての指図をした(創世記242933)。また、エリエゼルの長い打ち明け話に対する応答でも、「ラバンとベトエル」(同2450)という順序で書かれ、ラバンのほうが主人格のように記されている。

 さらに、リベカの兄と母とに高価な品々を与えた(創世記2453)とあるが、父ベトエルに贈りものをしたとは書かれていない。ベトエルは終始、軽んじられているように思われる。ベトエルは、テラの息子ナホルと、早死にしたテラの子ハランの娘ミルカとの間に生まれた子であって、当然このほうが主人格のように思われるのに、である。このころベトエルはもう老境にあり、いわばもうろくして家全体のことはラバンと母とが事実上取りしきっていたのであろうか。

 ともあれ、エリエゼルと従者たちはその夜は飲み食いしてそこに泊ったが、翌朝にはもうリベカと共に主人のもとに帰りたいと申し出る。兄と母はさすがに驚いて、「数日、せめて十日ぐらいはゆっくりしていってください」と頼む。しかしエリエゼルは、時間的な余裕を与えたらサタンにつけ込まれて、心変わりでもしたらと心配したのであろう。

 「神が道を整えられたことですので、すぐに事を運ぶべきだと存じます」

 と言って聞かない。彼らはやむをえず娘を呼んでどうするかと尋ねると、リベカはきっぱりとただ一言、「行きます」と答えた。

 神は人間がいったん召命を受けたらあれこれと思いわずらったり、未練を残したりせず、決まったことは無条件ですぐ実行に移すことを好まれる。母や兄もリベカの決意が固いのを見て、大急ぎで侍女や乳母をつけてエリエゼル一行と共に送り出すことに決め、リベカを祝福して言った。

 「妹よ、あなたは、ちよろずの人の母となれ。あなたの子孫はその敵の門を打ち取れ」(創世記2460)と。

 そのころイサクは、サラが亡くなったヘブロンより南、ネゲブの地で放牧をしていた。夕暮れ、野に出て道を歩いていると、らくだの行列がやって来るのが目にとまった。リベカはそのイサクの姿を見て、はっと霊感を受けたのであろう。

 「あの人はだれですか」

 と従者たちに聞いた。

 「わたしどもの主人、イサク様でございます」

 リベカは身じまいを正し、被衣(かずき)で全身をおおった。エリエゼルはイサクに一部始終を話した。イサクは喜んでリベカを自分の天幕に伴い、妻として心からリベカを愛した。母を失ったイサクにとってそのことが大きな慰めとなった(創世記2467)と、聖書には記されている。その時、イサクはすでに40歳に達していたという。

 このようにリベカは、若き日のアブラハムさながらに、一度も行ったことのない異国に、夫となる人の顔も見ずに直ちに行くことを決意するほど、神を無条件に信じる思い切りのよい、さっぱりした気性であった。どこのだれとも分からない年老いたエリエゼルにも、すぐいそいそと水を飲ませ、らくだにまで気を配ったことからも分かるように、心遣いが細やかで、よく気が利く勘のよい女性でもあった。

 物事を曲げて受け取ったり、自分の欲のために策を弄(ろう)するような心のねじけた女では決してなかったということ、これは記憶される必要があろう。そうでないと、のちにリベカの腹から生まれたエサウとヤコブの家督権争いに当たっての、彼女の振る舞いを大きく誤解してしまうことになろう。

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 次回は、「エサウとヤコブ」をお届けします。