2023.01.13 12:00
続・日本統一運動史 48
地方巡回④ 札幌/仙台
真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著
第四章 真の御父母様との一体化時代
五、真の御父母様の御家庭、初御来日(1967. 6. 12〜8. 10)
8. 札幌巡回(7. 17〜18)
◇御言
「君たちは伝道が目的である。伝道を目的とする、共産党に対して、宣伝し得る材料が必要である。…労働者、農民たちを愛したというその証拠が共産党より以上、切実なその内容を持つ、その材料が必要だ。それを作るために我々は若者は血をも売って、そうしてああいう伝道をして来た。…我々は一週間をみんな断食している。それだけの戦いの真っ只中にいて…『弁当食べよう』、そうはいかない。君たちは戦い続けるには、食わず、無理してやらなければならない。そういう戦いが我々の前に…。だから、そういうふうに我々がその使命を全うするためには、食べるのを忘れてやらなきゃならない。寝るのを忘れてやらなきゃならない。」(抜粋)
9. 仙台巡回(7. 18〜19)
◇山岡建雄氏の証し
「『イエス様のことをお聞かせ下さい』。これが仙台教会の一室で、先生に最初にお会いした時の私の質問でした。中学生の頃より聖書を学び始めた私は、イエス様の苦痛と心情をこれほどまでに解き明かされた方はいったいどなただろうと、その方にお会いできたらと思わずにはいられませんでした。そして今一度、直接イエス様のことをお伺いしたいと思ったのです。
先生は『(イエス様は)かわいそうな男だよ』と、たった一言、振り向かれて答えられました。しかしその時の先生の悲しそうな、その言葉と表情は今も忘れることができません。」(抜粋、『ファミリー』1981年8月号)
◇中村武子さんの証し
「お話の後、先生がお休みになられたのは午前2時ごろだったのではないかと思います。先生が寝室に入られた後、着替えをお持ちでなかったことがわかり、急いで汗で濡れたワイシャツを洗濯し、朝早くアイロンをおかけして先生のお部屋の前までお持ちしたのは、まだ5時前でした。
その頃の仙台教会は古い旅館の跡で、家が傾いておりましたので、ふすまがきちんとしまらず、隙間があいておりました。私は何気なく洗濯物を戸の前に置こうとしてビックリ致しました。ちょうどそのふすまの隙間から先生のお姿が見えたのです。布団の上に正座され、両手を付いて深々と頭を下げて祈っておられる先生の後ろ姿でした。
私は言い知れぬ感動に襲われ、一瞬そこに立ちすくんでしまいました。先生は多分、1時間か2時間くらいしか眠られなかったのではないかと思います。先生はいつも御旨のために、わずかな時間しか眠られないと伺っておりましたが、そのお姿を目のあたりにして、神様のため、人類のために命懸けで歩んでおられる先生の歩みがどんなものであるのか、このことを通してかいま見ることができました。」(抜粋、『ファミリー』1983年5月号)
10. 前橋巡回(7. 19)
◇揮毫「心情的蕩減統一源」
真の御父様の前橋教会での滞在時間は4時間でした。しかし、真の御父様は教会員たちから負債を負わないために、風邪をひいておられるにもかかわらず、ぶっ通しで汗びっしょりになり、叫び続けられました。
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次回は、「地方巡回⑤ 金沢」をお届けします。