愛の知恵袋 170
人生をかみしめる

(APTF『真の家庭』291号[20231月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

 新年おめでとうございます。世は混迷と紛争の中にありますが、内外の試練を乗り越えて、今年が良き年になることを共に祈りたいと思います。

スローフード、スローライフのすすめ

 妻が他界して9年になり、私も75歳になりました。残された時間を有意義に生きるために、この正月は改めて自分の人生を振り返ってみたいと思っています。

 昨年、健康面の心配もあるので胃と大腸の内視鏡検査を受けましたが、「年齢の割には非常にきれいな状態です」と診断されました。これは妻のお蔭です。

 42歳から22年間がんと向き合って生きていた妻は、自身の健康増進のために本当によく研究し努力していました。その妻が「早食いはだめ、スローフード、スローライフ!」ということをよく言っていました。つまり、心に余裕を持ち、食事もゆっくりと味わいながらよく噛(か)んで食べるのが良いという事です。

 私は少年時代は食べるのが遅いほうでした。しかし、大学時代に部活の団体生活で速くなり、さらに社会人になると業務に追われて人一倍の早食いになり、時間も不規則でストレスも大きい生活でした。そのまま進んでいたら今頃は体を悪くしていたかもしれません。

 しかし、中年になってから妻の忠告を聞き、食事は決めた時間によく噛んで食べるように心がけました。そのおかげで体調がずいぶん良くなった気がします。

 さらに、もう一つ大きな変化がありました。それは、たとえ粗食でも食べ物をゆっくりかみしめて食べるようになってから、食事の喜びと楽しみが増えたことです。

 食べ物のおいしさがより深くわかり、天が与えて下さった自然の恵みに感謝の念が湧いてくるという体験です。仕事に追いまくられて、かき込むように食べていた時代には感じることのできなかった別次元の感動でした。

漫然と暮らすにはもったいない、この一日

 最近思うことは、これと全く同じことが、人生においても言えるのではないか…ということです。

 家族とただ漫然と暮らしている。仕事に追われ、時間に追われて暮らしている。

 そういう時には人と交流し日常生活を重ねても、心に沁みるような深い感動は得られないものです。心に感動や刺激がなければ、自分の内面は成長していけません。

 私は「人生の最終目的は人格の成熟と完成である」と思っています。もっと言えば、人格の本体である霊魂の成長と完成こそが、この地上における人生の目標であると考えています。

 その観点から見るとき、人格の成長(=魂の成長)は、ただ、地上に生まれて生活した…というだけでは不十分です。勉強して就職し、結婚して家族を成し、多くの人や自然と交わる…その人生路程は誰でも同じですが、どのように仕事をし、どのように人や自然を愛し、どのように夫婦や親子で情愛を深めることができたか…ということが重要だと感じています。

 つまり、日常の生活のひとコマひとコマを漫然と過ごすのではなく、“じっくりとかみしめながら生きること”が大切なのではないかと思うのです。

ひとつひとつ、かみしめながら生きよう

 人生は波乱万丈です。嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、苦しいこと…それをしっかりと受け止め、かみしめながら歩いて行く…そのような生き方ができたとき、自分の心に、そして魂に霊的な養分が吸収されて、人格の成長と成熟へとつながっていくのではないかと思います。

 毎日毎日をかみしめながら暮らした時、そこには無限の喜びや感動があります。

 刻々と変わる空の景色、春夏秋冬の風景、道端の草花、そこに生きる鳥や魚や動物たち…感性を澄ませて見れば、大自然の驚異と波動を感じることができます。

 朝、目覚めた時、そして食べる時、歩く時、働く時、遊ぶ時…生かされている喜びをかみしめることができます。

 夫婦で話をしている時、子供や孫とくつろぐ時、友人と語らう時…その瞬間、瞬間をかみしめてみれば、そこにある幸せに気づき、感謝の思いが湧いてきます。

 人生で遭遇するあらゆる困難も幸福体験も、全てよくかみしめて飲み込めば、魂の栄養となって蓄積されていくのではないでしょうか。

 地上の人生はたった一度しかありません。天から与えられた一日一日を珠玉のように貴い時間だと思って、感謝と真心を尽くして歩んで行きたいものです。

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