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中和新聞セレクト Vol.6
家庭理想の実現

 毎週2回(火、金)、さまざまなコンテンツを配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
 第6弾は「家庭理想の実現」(家庭教育局)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
 同コンテンツは『中和新聞』20174月から連載中のシリーズです。

16回 子女を導ける父母となるために~夫婦一体化のポイント②

(中和新聞 2021年3月22日 通巻1446号より)

 天の願いである二世圏の復帰を進めていくためには、夫婦の一体化が鍵となります。そこで、どのようにしたら夫婦が神様の願われる形で一つになれるか、そのポイントを、蝶野知徳・家庭教育部長に解説していただきました。今回はその第2回です。(詳細は『祝福家庭』102号〈2021年秋季号〉をご参照ください)

 第1回は、環境の美化侍り合う生活(前編)について説明しました。今回は、の後編と、言葉を大切にする生活です。

侍り合う生活(後)

み言をもって共感する
 夫婦で訓読会などを通して学び、その感想に共感し合うことも大切です。み言で耕された心情で一つになっていくのが祝福夫婦です。

 み言の解釈や理解を修正し一致させていくことも重要ですが、そのこと自体が一体化なのではありません。み言から感じることを、お互いに心から語り合い、それを大切に聞き合い、共感し合える関係をつくり上げることが、一体化の土台になります。

 み言を学ぶのは、夫婦が同じ方向を向いて進むためだけではなく、向き合ってお互いが一つになるためでもあります。知識や解釈を述べ合うというよりも、み言の意味するものをつかんで生活化するのです。共に愛の実践者となるためです。

 そのためにも、生活圏で起こった出来事や通過した心情を、就寝前の時間にでも、報告し合ってみましょう。きょう一日をどのようなみ言をもって出発し、何を感じた一日であったのか。お互いが大切に聞き合えば、きょう二人と共におられた神様が明確になり、深い恩恵を体験できます。

 このように、ふだんからみ言をもって授受作用し、心情を表現し聞き合える関係をつくっておくことができれば、その深い一体化の中で子女のことを話し合うその場は、深い天の知恵を受ける場となるのです。

侍り合う父母を見る子女
 夫は妻に敬意と愛をもって対し、妻も夫に敬意と愛をもって対し、いたわり合い、侍り合う──。そんな夫婦を見れば、神様も子女も感動します。一方だけが強く、常に相手がそれに合わせながら保っている関係では、神様の愛や祝福の価値を現すことは難しくなります。

 父は母に侍り、母も父に侍っている、その双方向の豊かな関係を見ながら、子女は、二人を一つにしている「中心」があるということ、そしてそれが神様であることを自然に感じ取ります。子女は神様の愛が、この父母の貴い愛を通して自身を誕生させたのだと感じるようになるでしょう。


❸言葉を大切にする生活

一つになりたい心で
 夫婦の授受作用に言葉は不可欠なものですが、その使い方が大切です。言葉を十分に交わしながらも、お互いが自分の意見だけを主張している場合、なかなか一つにはなれません。

 通常、会話においては、「何を話すか」という、話の内容が重視されがちですが、実際には、話す人の「気持ち」のほうが重要です。話の内容よりも「気持ち」が強く伝わることが多いのです。

 言葉は愛のために創造されました。「一つになるため」に創造されました。ですから、「私はこの人と一つになりたい」という心で語りかけてみてください。全ての言葉に愛の香りが加えられ、話の内容にかかわらず、二人の絆はさらに深まっていきます。

意見は共感の土台の上で
 お互いの意見や判断を最初から交わし合うのでなく、まずはお互いの心を「知りたい」と思うことです。

 意見というのは、どちらかというと「結論的」です。結論だけを言い合うと、授受作用が難しくなりがちです。それぞれの意見を持つに至った「心」の過程をお互いに理解しようとするとき、二人の心も開いてきます。この状態が出発です。必ずしも相手の心情の全てを理解できなくても、「気持ちの存在(事実)」だけでも、まず認め合うことです。それがお互いの「存在の肯定」になり、「共感」の始まりになります。

 ですから、意見を合わせるのではなく、まずは心を合わせることです。「共感」のない関係は、意見で会話をしようとするので、一つになるのが難しいのです。

 自分が味わった悲しみを「共感」できる存在が誰もいないとき、悲しみは耐え難いほどに強くなります。

 神様も、人間を愛するがゆえに耐え忍んでこられましたが、歴史上、その心情を理解する存在がありませんでした。それが、神様の深い恨(ハン)でした。真の父母様だけが、それを理解し、解放されたのです。

 夫婦の間においても、共感を増やして認め合うことができれば、次第に複雑な思いも解けていきます。

 自分の願いや意見というものは、このような「共感の土台の上」で、表現したほうがよいということです。

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 次回は、「子女を導ける父母となる③」をお届けします。

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