2022.12.18 13:00
信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(84)
家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。
金元弼・著
第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
二、祝福の原点
家庭は愛の訓練場
祝福を受けて、1年、2年たっている人たちが多いのですね。今、約婚した方たちにとって、もう既に1、2年前に約婚を受けている人たちは先輩です。またそういう人たちにとって、家庭をもっている人たちが先輩です。ですから、そういう人たちが次々に教えてあげればいいと思います。
祝福を受けた私たちは、共通の課題をもって話し合うようになればよいと思います。ですから、毎日の生活の中で、先輩の祝福メンバーを訪ねて、どんどん習うようにしたらいいのです。
私の体験からして、祝福を受ける前に比べて、受けたあとでは、二人分の十字架を背負うようになるのです。今までは、心配事があれば自分のことだけを考えればよかったのですけれども、祝福を受けると、自分は良い状態であっても、相対者のほうに何か心配事が起こると、その心配事を、私が助けて解決しなければならなくなります。
先生は祝福を受けた人に対して、たくさんのみ言を下さったので、み言でもっと成長しなくてはいけないと思います。私自身も、時々先生のみ言を思い浮かべながら勉強している途中です。み言は非常に深いので、ある程度のものは理解できますが、今なお、ある部分は、何の意味だろうか、何のことだろうかと分からないものもあります。頭の中では理解できても、心から理解できないものもたくさんあります。
私たちがみ言を勝利しない限りは、先生のみ言は分からないということです。頭では理解できても分からないということです。ただ、頭で分かるだけで終わってしまうということなのです。
この世の中の学者たちは、話をするにも、誰がどういう話をしたとか、そういうことをたくさん引用して話します。しかし、先生のみ言を聞いてよく御存じだと思いますが、先生のお話の中には、誰がこう言ったというようなことはないと思います。
私たちが共通して心の中に置かなければならない一つのことは、私たちが祝福を受ける時の心情と、先生が私たちに命を懸けても祝福を施すという、親の心情と一致化させていくことです。神を中心として、真の親が私たちに祝福を与える時に、私たちはお互いに近づき、心を一致化させて、み言を中心として一つになって祝福を受けるのです。神を中心として、真の親の心情とそれぞれが一体化して、その二人が一つになるのです。
一つになって祝福を受けるのです。そして、子供を生んで、活動し、霊界に行って神のもとに帰るまで、この心が変わらないでいくことです。家庭、氏族、国家、世界、天宙を通過して、神のところに帰っていくのです。
そして、神を中心として真の親のところに帰っていくのです。ですから、出発したところに帰っていくということです。帰っていく時に、どのようなかたちで帰らなければいけないかといえば、完成して帰らなければいけないのです。私たちの霊は、神から来て神に帰るし、肉体は、この世の中から来たものですから、世の中に帰っていきます。
家庭をもつと、出発地点は常に家庭です。家庭から社会に出ます。学校、職場に行っても、夜は結局、家庭に帰るのです。国のために戦争があったら、家から戦場に出て、戦争が終われば自分の家に帰ってくるのです。永遠なる私たちの故郷は、神がいらっしゃり、親がいる天国です。そこが私たち人類のすべての故郷であり、家庭です。結局、私たちは、自分の霊の故郷である天国に帰るのです。世の中でこの家を根拠にして、国に出て、世界に出て、結局は、自分の家に帰ってくるのです。
それで家庭は、霊の故郷、永遠なる人類の故郷に完成して帰るための訓練場であることを、忘れてはいけないと思います。私たちは、真の神の愛から出発し、愛を完成した者として、帰ってこなければいけないのです。
完成とは、あらゆる完成を言うのです。愛の出発をすると、真の愛を神と親から受け継いで完成し、親に帰っていかなければならないということです。
なぜ私が皆様にこういうことを話しているかといえば、皆様は、最初の出発点の心の状態を、死ぬまで忘れないように守って、これを完成していかなければいけないからです。ですから、親から賜った愛の種を完成し、収穫し、たくさんの種を繁殖するのです。愛の種を完成させて、花を咲かせ、実りをもって親のところに帰るのです。一つを受けたら、百を返すのです。
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次回は、「神中心の愛で祝福を取り戻す」をお届けします。