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神の沈黙と救い 1

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「神の沈黙と救い~なぜ人間の苦悩を放置するのか」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 神はなぜ人間の苦悩を放置するのか、神はなぜ沈黙するのか。今だからこそ、先人たちが問い続けた歴史的課題に向き合う時かもしれません。
 25年以上も前に書かれた本ですが、読者の皆さんにとって、必ずや学びと気付きを得られる一冊になることでしょう。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『神の沈黙と救い』より)

まえがき

 一見すると、世の中には実に不公平なことが多い。

 一生懸命努力してもさっぱり報われなかったり、ひたすら信心しても何の御利益もなかったりする一方で、適当に面白おかしく遊んでいる人や悪事を働いているような人のほうが大もうけをしてのうのうと暮らしていたりする。

 そうしたことを目の当たりにすると、「なんと神は不公平なお方か」「神はどうして黙ってばかりいるのか」と文句の一つも言いたくなるのが人情であろう。あるいは「そもそも神なんていないんだよ」と開き直る人も少なくないだろう。

 本書は、こうしたことに対する一つの解答を試みたものである。

 このテーマは宗教と深くかかわる内容ではあるが、宗教の外にいる人にも非常に興味深い内容であると思うので、神学的で、いたずらに綿密な論証よりも、一般的で分かりやすく読めるようにということを念頭に置いて論を進めたつもりである。

19966
野村健二

プロローグ
神はなぜ「沈黙」するのか?

 遠藤周作の『沈黙』は今から30年ほど前に書かれ、映画にもなり、一大ブームとなった作品である。切支丹弾圧の頂点にあって神が何も手を差し伸べてくださらないのを見て、ついに踏絵を踏むに至るいきさつと心理とが詳細に述べられている真摯(しんし)な意欲作であった。

 だが一体なぜ今「神の沈黙」を取り上げるのか?

 歴史上の大きな節目の年、西暦2000年まであとわずか。東西の二極対立も東欧・ソ連の崩壊によって一応解消した。しかしそれに代わってユーゴ、中東、チェチェンなど、民族紛争や宗教紛争はいまだ継続し、むしろ激化している。

 日本においては、サリンによる無差別大量殺人が宗教・真理の名において行われた。一体神はどこにおられるのか? 大体神はお一人なのか? イスラエルとイスラムが、あるいはイスラム同士が双方神の名において戦争しているのを見ると、こんな疑問さえ胸をかすめる。

 ハルマゲドンなどというキリスト教用語が一般に用いられるようにもなった。世界最終戦争は米ソの対立の解消によって一応、決着がついたように思われるがどうなのだろう? 周知のように、ノストラダムスは19997月に世界の破滅の時が来るということを予言している。

 世界は今大きく統一の方向と分裂の方向に動いているように思われる。そのうちEC(欧州共同体)の統合、ローマ教皇と正教大主教、ユダヤ教などとの握手は統合の方向であり、ソ連やユーゴの分裂はその反対の傾向を示すものであろう。

 個人生活の次元では、まだ中高生のいじめによる自殺が後を絶たない。エイズでは、非加熱血液製剤によって血友病患者その他への感染が問題となっている。就職戦線は依然として超氷河期である。オーストラリアでは、観光客が34人も無差別に射殺されたというニュースも入ってくる。

 全知全能の神がおられるのなら、こうした状況をなぜ野放しにして黙っておられるのか。これが世紀末の世相に対しての偽らぬ感慨である。

 どんなに信仰しても、祈っても、さっぱり答えがない。神や仏などというものは実在しないのではなかろうか。

 信仰深い人が自動車の衝突で頭がい骨陥没で単純な作業しかできなくなったり、癌(がん)に侵されて40歳足らずで亡くなったり……。何も悪いことをしていないのにこの人たちだけがなぜ、と思うことも多い。

 こういう問題に対して諸宗教はどう答えるであろうか。

 西暦2000年はイエス・キリストの生誕から2000年、釈尊から2500年、今終末・末法の時代といわれ、新宗教、新・新宗教の勃興を迎え、第3次宗教ブームといわれるさなかにオウム事件が起こり、そのとばっちりで宗教一般の信用も大きく傷つけられた。

 本書は、この神の「沈黙」という現象について、これまでの宗教(主にキリスト教、聖書)の解答を検証しながら、沈黙の理由についての新しい解答を提示しようとするものである。

 人間は何のために生きているのか? これは科学によって答え得る問題ではない。自分で自分を存在あらしめた者がない以上、人間は自分を存在あらしめた存在、すなわち神にその意味を問うてみざるを得ない。その意味からして、神が存在するか存在しないかは、特定の宗教をもつか否かにかかわらず、すべての人の根本問題であるはずである。

 また、オウム事件の長期にわたる報道によって、自分が宗教とどうかかわるか、本物と偽物をどう見分けるかが問われている今、その宗教がこの神の沈黙の理由についてどう答えているかということが、一つの重要な判断基準となるであろう。

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 次回は、「小説『沈黙』が提示する極限状況」をお届けします。