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コラム・週刊Blessed Life 237
マルクスの真相①~宗教の家系から生まれた共産主義

新海 一朗

 マルクスは19歳(1837年)の時に書いた詩「絶望者の祈り」の中で、「神の世界はみんな、みんな、なくなっても、まだ一つだけ残っている、それは復讐だ!」と述べ、神の世界(宗教、信仰など)はなくなれと願い、ただなくなるだけでは満足できず、神への復讐を果たさなければならないとつづりました。

 このようなマルクスの凍(い)てついた心理はどのようにして生まれたものでしょうか。
 弱冠19歳のマルクスがここまでの殺伐たる精神状態に追い込まれた背景には、宗教(ユダヤ教、キリスト教)に対するよほどの恨みがあったと見るしかありません。

 結論を先に言えば、神を否定するマルクスの共産主義思想(戦闘的唯物論=唯物弁証法、経済理論=労働価値説、剰余価値論など、歴史観=唯物史観など)は、宗教の家系、信仰の系譜のただ中から生まれたということです。

▲1836年 ボン大学学生時代のマルクス(ウィキペディアより)

 マルクスの家系は、父方も母方もユダヤ教のラビ(祭司、聖職者)の家系です。彼は、宗教的環境、信仰的環境の中で育っています。それにもかかわらず、宗教に対する恨みと怒りを抱くようになった原因は、彼の家庭環境の中にありました。

 父母に対して恨みと怒りを抱いた原因の一つは、キリスト教ならびにユダヤ教などの宗教に関わるものでした。
 父はユダヤ教からキリスト教に回心し、ユダヤ教仲間から非難を浴びたこと、特に、ラビの家系であったために、一層、強い非難を受けていました。一方、母もまたラビの家系であり敬虔(けいけん)なユダヤ教徒で、夫のキリスト教徒への回心を快く思わなかったのです。

 マルクスは、こういった家庭内事情のごたごたを見て、次第にユダヤ教およびキリスト教の双方に対して嫌気が差していったと推測されます。

 さらに自身の結婚において、父母の承認が得られず、それ故、遺産の分与にあずかることができなくなり、父母に恨みを抱いたのです。
 遺産相続から外された恨みは、私的財産制度の否定、すなわち、共有財産制度をうたう共産主義思想へ傾斜していく原因をつくりました。

 このように見ると、マルクスの共産主義思想の背景には、信仰問題を中心とした父母への反発、結婚問題を中心とした父母への恨みがあることが歴然としてきます。

 マルクスの父母の立場から見れば、マルクスは「宗教二世」「信仰二世」と呼ぶべき立場です。父母の信仰に反逆し、忌避したマルクスが目指した方向は、神を完全に否定する理想世界の建設、人間の理性に基づいた理想世界の実現、神なき理想世界の創建、すなわち、共産主義社会の実現に向かったという結論になります。

 共産主義には人間の理性を神とする「理性の傲慢(ごうまん)」が宿っており、その結果、共産党を中心とする一党独裁の官僚制、共産党エリートの全体主義的な官僚制国家が出来上がります。
 旧ソ連、現在の中国や北朝鮮がそうです。しかしやがて、その共産党支配は党の頂点に立った人物の独裁につながり、個人独裁国家となります。
 中国は現在、個人独裁の完成を目指しています。その独裁者の傲慢が支配する国家、それが共産主義国家です。

 マルクスが抱えていた個人的問題(宗教問題、結婚問題、遺産問題など)がゆがんで形づくられた結果が、今日の世界的な左翼運動の全ての形態となって現れたと言えるのです。