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シリーズ・「宗教」を読み解く 237
キリスト教と日本⑯
大庄屋のキリシタン洞窟

ナビゲーター:石丸 志信

 「キリシタン洞窟礼拝堂」のある竹田市の城下には、他にも由来の分からない人工的に掘られた洞窟がいくつも点在している。

 それらは一様に五角形をしており、殿町の洞窟礼拝堂とも形状が似ている。
 現在は稲荷や神社として祀(まつ)られているが、これらもまた礼拝堂として使用されていたのではないかと思われる。

 イエズス会士のヨハネス・バプティスタ・ボネッリが1621年にマカオから発信した「1620年度・日本年報」には、迫害下の竹田にいたフランシスコ・ブルドリノ神父のことが記されている。

 彼は信徒たちを導き励ますために密かに活動を続けていた。自らが役人に見つかって信徒たちに危険が及ばないよう注意を払い、「林の中の隠れた場所や、山中の洞窟」に寝泊まりしていたという。
 そんな状況でも、ジョアン・ディエゴという洗礼名を持つ一人の大庄屋がブルドリノ神父に宿を提供したと記している。

 大庄屋ジョアンの末裔が400年を経た今日もその地所を守っている。屋敷の裏山には三つ並んで掘られた洞窟がある。一つは祭壇、一つは居室、一つはトイレだと思われる。

▲大庄屋のキリシタン洞窟

 ブルドリノ師は、一時、この洞窟で寝起きし、信徒たちを見舞い、共にミサをささげていたのだろう。
 この宣教師の命懸けの働きは、大いに信徒たちの信仰を鼓舞し、殉教をもいとわないまでに高められていった。
 一度は信仰を捨てた者たちにも働きかけ立ち返らせていった。彼はまた、キリシタンのいる他の土地にも訪問したという。

 徳川幕府の禁教令に伴い1614年には、宣教師たちと主だった信徒らが海外に追放となった。
 しかし、残される信徒らのことを心配した外国人宣教師や日本人司祭らは、その後も日本国内にとどまって潜伏活動に入った。各地に広がるキリシタンの共同体も、命懸けで彼らをかくまいながら長く信仰の伝統を守り続けていった。


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