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スマホで立ち読み Vol.9
『地域づくりは国づくり』6

入山聖基・著

(光言社・『地域化講座~地域づくりは国づくり~天一国時代の伝道論』より)

 『地域づくりは国づくり』の一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週月曜日にお届けします。

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第一章 カインの祭物

アベルの立場

 このような神様のこころを誰が理解すべきだったのでしょうか? アベルです。そうすべきだったのがアベルの立場であり、使命でした。

 アベルは神様から供え物を顧みられ、祝福を受けました。その時、「祝福」と同時に摂理の中心人物としての「責任」も授かっていたのです。

 そこには大きく見て、二つの責任(使命)がありました。

 第一に、摂理の中心人物は、「神様のこころ」を知らなければなりません。そして「神様のこころ」を「私のこころ」としなければなりません。

 アベルが、アダム家庭を見つめる「神様のこころ」を正しく知っていたとすれば、「堕落した人間に創造目的を完成させる」という、神様の決意が分かったはずです。そして、神様が、兄カインをも愛し、「カインの祭物」をも受け取りたいことを知ったはずです。

 「ああ、神様は兄さんも愛していて、供え物も受け取り、救いたいのだ」

 これが分かったとするなら、まったく違う摂理的展開がなされたでしょう。

 復帰原理では、「信仰基台」とは、中心人物がある条件を立ててある期間を守ることだとあります。それは外的な行動目標にすぎません。その内的な復帰目標は、「神様のこころ」を知ることではないでしょうか。そしてそれを、「私のこころ」とすることでしょう。

 第二に、摂理の中心人物は、「兄カインのこころ」を知らなければなりません。

 カインは、「地に顔を伏せて憤る」ほどに、供え物を受け取られなかったことにショックを受けました。カインは、サタンの血統を受け、粗暴な性格であったとしても、そういう自分に満足していたでしょうか。悪人においても、良心は、「神様に帰れ!」と命じるのです。

 兄カインの「救われたい!」という心の叫びを、アベルが知ってあげなければなりませんでした。

 「神様のこころ」を知り、「兄のこころ」を知り、それを一つに結んであげること、それが「アベルの立場」に課せられた「責任」だったのです。

 もし、その責任を果たしていたら、アベルは殺されることはなかったでしょう。アベルは、「カインのこころ」を知ることができなかったために殺されたのです。

 「恨み」というのは、大変な思いをしたこと自体がその原因ではなく、それを誰にも分かってもらえなかった、という愛の減少感が原因となって心に蓄積されていくものです。ですから、それを分かってくれる人が現れると、それ以上恨むことができなくなってしまいます。まさに「解恨(解怨)」です。アベルはカインを解恨する使命を持っていたのです。

 しかし、実際には、聖書に描かれたアダム家庭において、アベルが「神様のこころ」を理解していたでしょうか? そして、「兄カインのこころ」をつかんでいたでしょうか? そうではなかったと思われます。アベルの心のアンテナは、ただ「祝福を受けた」という自分だけの喜びに向けられていたのです。

 こうして、アダム家庭における神様の摂理は失敗となってしまいました。

 神様のこころだけが残っていました。そのこころはどれほど痛んだでしょうか。

 こうして、摂理的な「アベルの立場」は空席となりました。

 その後、復帰摂理の中心テーマとして、「アベルの立場を復帰する」「アベルの立場に立つ」という表現が、『原理講論』に繰り返し登場してくるのです。

 この、失われた「アベルの立場」を全うする者を、神様は探し続けられました。それが、復帰摂理歴史の表題なのです。

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 次回は、「犠牲と護(まも)り」をお届けします。お楽しみに!



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