2022.09.08 17:00
スマホで立ち読み Vol.19
『真のお母様、感謝します』7
(光言社・刊『真のお母様、感謝します』より)
スマホで立ち読み第19弾、『真のお母様、感謝します』を毎週木曜日(予定)にお届けします。
真のお母様(韓鶴子総裁)との出会いの証しを集めた貴重な一冊です。
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狭い家の中でも捜し合われた父母様
阿部公子(777双)
夫と私は1980年に渡韓し、真の父母様の館で生活させていただきました。父母様は、狭い家の中でも「オンマは?」「アボヂは?」とお互いに捜し合っていらっしゃいました。喧嘩をしないという次元ではなく、いつも一心一体でいらっしゃったのです。
真のお母様は、家の中でも決して大きな声は出されず、低く落ち着いた声でゆっくりと話されます。ある時、お母様がお出掛けの間に、真のお父様が利川(イチョン)に行かれたことがありました。戻られたお母様が私に「アボヂは?」とお聞きになったので、「利川に行かれました」とお答えすると、日頃静かなお母様がばたばたとスリッパの音をさせて2階に上がられたのです。
しばらくして下りてこられたお母様は、「이 사람(イ サラム、この人)」と言われて、私のおしりをぽんと叩かれました。私は「이천(イチョン、利川)」と言ったつもりだったのですが、お母様には「이층(イチュン、2階)」と聞こえたのです。
そのときお母様は私を、「韓国に来て何カ月経ったの? まだ利川と2階の発音もできないの」とお叱りになりながらも、おもしろそうに「2階に上がってみなさい」とおっしゃいました。
不思議に思って上がってみると、夫が大の字でいびきをかいて寝ていたのです。当時、父母様が帰国されると、私たち夫婦の部屋はスタッフの部屋になり、夫は先輩の先生方と一緒に2階で休んでいました。その先生方がお父様と一緒にお出掛けになったので、一人になった夫は久しぶりにゆっくりと寝てしまったのです。その姿をお母様に見られてしまったのでした。お母様はいたずらっぽく笑いながら、「見た? 私も見たわよ」とおっしゃいました。
お母様は、権威があって近寄り難く感じる一面もお持ちですが、ユーモアを解されるお方です。ジョークを言って、皆を笑わせてくださることもあるのです。
1983年12月、興進(フンヂン)様がアメリカで交通事故に遭われました。この知らせは、韓国8カ都市勝共大会で光州(クァンヂュ)におられた父母様のもとにも届けられました。光州大会の後、お父様は皆がいる前でお母様に、「オンマ、絶対に悲しみの涙を流してはいけない。泣くんじゃないよ。自分の部屋に入ってはいけない。みんなとここにいるんだよ」と言われ、お母様はそのとおりにされました。
その後、お父様は大会の報告を受けたり、み言を語ったりされました。お父様は大会の勝利に大満足され、満面の笑みで勝利を祝われました。そして初めてぽつりと、「興進君はどうなの?」とお尋ねになったのです。報告を聞かれると、お母様のほうをご覧になり、「オンマ、偉いね、泣かないで」と言われました。
父母様がアメリカに戻られる日、泣かないでお見送りしようとみんなで決めました。お母様は玄関先で、「いちばん悲しいときは笑うのよ」と言われ、にっこり笑って出発されました。その後、残った私たちは抱き合って泣きました。
父母様の行かれる道がどれほど厳しく、天情に徹する道であるかを垣間見た出来事でした。
【お父様がお母様について語られたみ言】
神の日は、お母様が責任を果たしたので設定することができました。世間にどんなことがあっても、7年間、お母様の私に対する心は変わることがなかったというのです。死んでも変わることなく、夫が行く道をついていこうという覚悟と姿勢で、7年路程を越えました。
(『祝福家庭と理想天国』〔Ⅰ〕1036ページ)
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次回は、「英語を完全に受肉して講演された全米ツアー」(下山弘倫)をお届けします。お楽しみに!