2022.08.26 12:00
続・日本統一運動史 28
吉田允子さんと河津紀己子さん、アメリカ宣教に出発
真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著
第四章 真の御父母様との一体化時代
四、1965年10月御帰国から1967年の御来日まで
(4)吉田允子さんと河津紀己子さん、アメリカ宣教に出発
1966年2月17日、吉田允子さんは、留学のための遠藤喜彦氏・石黒正享氏と共にサンフランシスコへ、河津紀己子さんはハワイへ宣教のため出発しました。
(5)統一音楽祭(1966. 7. 7)
1966年7月7日午前9時から午後4時まで、新宿の厚生年金会館ホールで、『人類一家族への大行進、統一音楽祭』が開催されました。
「何と言っても会場をのみつくしたのは、その一人一人の聖なる姿ではなかったろうか。常なる日々にあっては汗にまみれて働き、リヤカーをひき路傍で叫ぶ一人一人が、ひたすらに祈りをこめて歌う姿、それは実に清らかな流れを人々の魂に促した。…自己を神に捧げ、全人類の幸福と世界の平和のために尽くすその姿こそ、人々の心霊をゆり動かし、涙をさそった第一の原因に考えられる」(『成約新聞』1966年8月10日号より)
「帰れわが子よ、とく帰れよや……。静かに流れる今日のテーマ・ミュージック、この大合唱をバックに、横井文化局長のナレーションが入る。舞台の人も、客席の一人一人の頬にも、涙がつたわる。その涙の深い意味はみな違うであろう。舞台裏で“時”と戦った兄弟も、この日迄涙ぐましい練習を重ねてきた兄弟も、最前線で戦っている兄弟も…。そしてまた、不安と心配の交叉したまま会場に向かわれた御父兄の方々も…。…フィナーレは舞台と会場とが完全に一つになって、歌う“送別の歌”も涙にとぎれがち、真に心の通いあったひとときであった」(『成約週報』第79号より)
音楽祭終了後、会場を6階会議室に移して4時半から6時まで、教会員の父兄参加のもとに130名が集まり、懇談会が持たれました。
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次回は、「第1回全高原研幹部総決起大会/関東学生大会」をお届けします。