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霊界の実相と地上生活(50)
本然の人間の姿

 36家庭の李相軒(イ・サンホン)先生(1914~1997)が霊界のさまざまな事実を証しされたメッセージ、「霊界の実相と地上生活【霊界の様相編】」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。

世界平和統一家庭連合

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)

第二部 天上天下の救世主・真の父母
第三章 人間の姿(人間論)
一 本然の人間の姿

李相軒先生

 神様は、人間を創造するに当たって、人間を最初に創造されたのではありません。神様は、人間が暮らすことのできる環境圏をすべて準備してから、人間を創造なさったのです。地上界では最初の人間の出現に関していろいろな説があります。その代表的なものに「進化論」と「創造論」があります。まず進化論について調べてみましょう。

 進化論によれば、ある生物が進化して類人猿になり、類人猿がだんだん発展し進化して現在の人間が出現するに至ったといっています。すなわち、猿が進化してヒトになったというのです。それは全知全能なる神様の創造能力(知性)を全面的に否定する理論です。

 私たちが被造世界を観察してみると、ある一つの物質が進化して松になったり、いちょうの木になったのではないことが明らかに分かります。宇宙全体の主管主としてつくられた人間を、一つの進化論で説明することは、極めて誤った考えです。

 地上世界では、科学文明の発達によって木と木、花と花を互いに交配させ、新しい木やより良い花に品種改良できるようになりました。しかし、人間は偶然に進化した存在ではありません。人間は神様の子女であり、万物の主管主という明確な目的のもとに、神様によって創造された存在です。人間の姿を理解できなければ、全宇宙を見てください。

 天地万物の存在と変化が人間の知性によってなされるでしょうか。春夏秋冬の四季の変化を科学の力でなすことができるでしょうか。様々な次元の宇宙現象は、何の目的も方向性もなく偶然に生じることができるでしょうか。

 すべての被造世界は人間のために造られました。万物の主管主として人間は、鉱物、植物、動物界には見られない、霊人体と肉身の二重的な存在として創造されました。肉身は地上生活のために、霊人体は天上生活のために創造されました。霊人体は、地上の肉身生活を通して成長した土台の上で、神様の永遠なる世界で生きられるようにつくられたのです。したがって、永遠の世界である安息の地は神様の願いである本然の世界であり、その世界で生きられる者こそ神様の創造本然の人間です。

 そこに定着する人間は、本然の人間であり、神様の形状であり、神様の願いであり、神様の喜びの対象です。そのような人間は、永遠なる神の国において真の子女の姿となって、神様とあたかも光と影のような関係で生きます。そして神様の思考や思想と一体となって生きていくため、永遠に変わらない神様の分身として存在するようになります。神様の属性に似ていき、神様の真の似姿となった対象となるのです。それは、常に神様が対することのできる人間本来の姿としての対象です。

 私たち人間は神様の姿に似た光の主人公であり、神様の心情と事情を察することのできる存在です。言い換えれば、神様に名前を呼ばれただけでも神様の事情を察することのできる子女が、まさに本然の人間の姿です。

1999126日)

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 次回は、「神様を離れた人間の姿」をお届けします。


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