2022.08.13 05:00
至誠感天 家和万事成 178
復活したお金として捧げる
今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
(光言社・刊『至誠感天 家和万事成』より)
第三章 信仰生活の四大指針
(二)万物の願い①
霊的に見れば、すべてのお金は不平を言っています。「私は、天のお金になる前に誰それのお金になるのは嫌だ」と言っているのです。ですから、天の前にお金を捧げて祭ればお金が解放されます。そのようにすれば、お金が「今まで、私たちを神様の前に連結させて祭祀(さいし)をした人はいない」と言います。それで、レバレンド・ムーンが「おお、そうか。それでは、私たちのファンダレイジング・メンバーが、そのような祭祀に捧げるお金をそろえるために募金に行くので、彼らを待ちなさい」と言えば、「はい、待っています」と言うのです。
お金を集めに行くとき、誰が悪口を言っても絶対に逃げてはいけません。不平を言ってもいけないのです。それが祭物を準備する人たちの態度です。そして、すべて血を流さなければなりません。お金が血を流さなければならないのです。それを誰が流れるようにしてあげるのですか。私が流れるようにしてあげるのです。私たちが、流れるようにしてあげるのです。
それでは、この献金をどこから集めるのでしょうか。ありとあらゆる人から集めます。それは何かといえば、全世界の悪いお金の中から、復活したお金として持ってくるというのです。その献金を私のものにすることはできません。祭祀を捧げる人は、一文でも手をつけてはいけないというのです。捧げたのちにこそ、所有が決定されるのです。献金とは何かといえば、世界のために、神様のために祭物として使うものです。(125-188、1983.3.20)
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明日は、「お金を正しく使う」をお届けします。