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心情開拓
心霊を育てる生活原則(63)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【アブラハムの家庭】
エバの勝利の重要性

 エバ(女性)は善悪の主体者です。善人もエバ、悪人もエバでした。財産もエバによって左右されます。それでエバが勝利して帰って、アダム(男性)がその上で献祭できるようになるのです。

 そのように、ヤコブの妻ラケルが、ハランのラバンの所から偶像を持ち出して、それを埋めて勝利したあと、ヤコブも「イスラエル」という祝福を受けたのです。家庭的勝利は、エバが勝利しないと、その男性はサタンと戦うこともできず、神に祝福される基盤もできません。ですからエバを探さないといけないのです。

 イエス様は、エバがいなかったから殺されたのです。男性がいくらたくさんいても、何千何万いても、結局天使長、いつまでも天使長です。なぜかというと、イエス様に情的に結ばれていないのです。情的に結ばれる人は、女性です。サマリヤの女か、それともマリヤか、マグダラのマリヤか、とにかく女性が出て、イエス様の情を結んで、地上にイエス様の血統を受けなければならなかったのに、イエス様はエバを復帰できなかったのです。

 こういう歴史的問題を私たちが取り扱う時、これを過ぎ去ったことと思ってはいけないのです。私たちが家庭的に地上に成されなければならないことなのです。神を中心にその基台をつくってくるのです。

象徴献祭と実体献祭

 そうしたエバ(女性)の基台の上で、アブラハムは神の前に祭物を持って出たのです。その祭物は、はとと羊の雌雄、そして牛は雌を一頭だけささげました。エバを探す、エバを復帰する目的で、三大祭物、蘇生・長成・完成を象徴してささげたのです。何を蕩減(とうげん)するのかといえば、象徴献祭をもって今までのすべて、アダムの家庭からすべてを再び蕩減する祭物だったのです。

 象徴献祭は二つに裂いて、分立してささげるのですが、その理由は何でしょうか。それは、アダムの家庭でカイン・アベルを分立しなければならない理由と同じです。堕落して善と悪が血統的に混ぜられた中から、悪と善との立場を分けるという意味があります。

 また、ノアの家庭から分立したように、堕落の血統を脱いで、新しい血統を始めなくてはならないという意味で、祭物は血を流して、二つに分立してささげるということになっているのです。

 ところが、火をつけ、祭物を燃やすのを待っていたのに、はとは裂かずにそのままささげました。神からは何の返事もなく日が暮れて、暗い時に鷲(わし)が来たのですが、その時にアブラハムは眠ったのです。

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 次回は、「内的基準と眠り」をお届けします。


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