神様はいつも見ている 36
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第6部 霊界解放の道
3. 雪岳山で霊人と逢着す

 清平(チョンピョン)の修錬苑(現・HJ天宙天寶修錬苑)での霊分立の役事は滞りなく終わった。
 いつもなら、それで帰国の途に就くのだが、今回は一日だけだったが私の苦手な「観光」スケジュールが入っていた。
 名峰、雪岳山(ソラクサン)の登山である。

 同行者に勧められるまま参加した山行であり、お付き合いといえばお付き合いのためだけの旅の一幕のはずだった。

 バスを乗り継いで雪岳山の登山口に着いた時には、気候もちょうど良く、爽やかな風が気持ちよく体を通り抜けた。山々は険しい姿を見せたが、神聖な雰囲気に満ちていた。

 清平の役事で少し疲れ気味だったが、胸の奥まで清浄にするように深呼吸しながら、自然の気が全身に行きわたるのを感じた。

 「どうだい、Kさん。雪岳山はいいだろう?」

 「そうですね。確かに、この山には神聖な気が漂っていますね」

 「そうだろう。霊能者のKさんにそう言ってもらえると、僕もうれしいよ。今日は一日、楽しもうじゃないか」

 「霊能者はよしてくださいよ。母になら、そう言ってもいいでしょうが、私にはそんな能力はありませんよ」

 「雪岳山」の名は、花こう岩の峰が白く雪が積もったように見えるところから付けられたという話もある。
 韓国では、済州島の漢拏山(ハルラサン)や半島の南端の智異山(チリサン)に次ぐ第三の高峰だ。

 新羅時代からの古寺があるなど、歴史的にもかなり古い時代から知られていて、古戦場や近現代でも北朝鮮と韓国の朝鮮戦争(韓国動乱)の激戦地ともなった場所でもあり、死者の数も多いという。
 死者が多いということは、そこに呪縛された霊たちも多いということだ。

 辺りは、韓国各地から来た観光客、家族連れ、ハイキングの一行、中には新婚の夫婦と見られる二人連れもいた。
 韓国の中高年の婦人たち一行は、気に入った場所を見つけると、シートを敷いて宴会を始め、気分よさげに踊っている。

 そんなにぎやかな雪岳山なのに、私の目に映る風景は徐々に色彩を失い、灰色に変わっていった。
 最初は気付かなかったが、山道をたどるに従って、少しずつ死者たちの姿が見えるようになった。

 岩山から流れ落ちる滝つぼには、そこで修行をしている僧侶が何かを考え込むように座り込んでいる。

 山道の樹木の陰には、ヘルメットをかぶった兵士らしい霊が観光客を見下ろし、時には銃を構えて撃つような仕草を見せた。

 私は霊たちに気付かれないように知らないふりをしていたが、それも限界に近づいていた。
 気分が悪くなり、吐き気を催したからだ。

 「あれ、Kさん、顔色が悪いけど、大丈夫?」

 同行者が私に話しかける。

 「やはり清平の役事の後だと、体力的に山登りは大変だよね。ちょっと無理なスケジュールだったかなあ。大変だったら、その辺で休んでいたらいいよ。その間、僕たちは上まで登って帰ってくるから、その時に一緒に下山すればいい」

 私は何も答えずその言葉に従った。そして知人らを見送った後、適当な岩に腰を下ろして顔を膝に埋めた。

 雪岳山のことは何も知らなかったが、ここがいい意味でも悪い意味でも、大変霊的な場所であることを私は感じ取っていた。

 周囲には、人々の話し声や子供の歓声などが聞こえていたが、それも少しずつ闇に消え入るように小さくなった。
 晴れ渡った午後のはずなのに、辺りは暗くなり、生暖かい風が吹いている。

 「そこのおかたよ、聞いてほしい」

 ぞっとした。私は息をひそめるように聞こえないふりをした。

 こういう場合、聞こえていること、見えていることが知られたら、その霊との交流が始まってしまうのだ。そうなったら呪縛されてしまって逃げられなくなる。
 無視するのが一番いい。

 「そこのおかたよ。怖がらないでほしい。私たちの話を聞いてほしいだけなのだ。お願いだから、顔を上げてください」

 その声は、悪意を持った恨みの霊に思えなかった。優しい声だった。だが、時として霊は人をだます。

 私は警戒し続けた。

(続く)

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 次回は、「この恩は必ず返す」をお届けします。