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ヨハネの不信

(光言社『FAX-NEWS』通巻791号[2003年3月16日号]「四大聖人物語」より)

 『FAX-NEWS』で連載した「四大聖人物語」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部が加筆・修正)

▲山上の垂訓(ウィキペディアより)

 紀元前4年、ヘロデ王が死ぬと、ヨセフとマリアは幼いイエスを連れて、エジプトから懐かしい北ユダヤのナザレの町へ帰ってきました。

ヨセフとマリア、イエスの使命忘れる

 イエスの時代には、町や村にあるユダヤ教の会堂(教会)に学校のようなものがあり、男の子は6歳になるとここで、ユダヤ教の教えや歴史などを学びます。イエスは毎日、熱心に教師の話を聞き、ユダヤ教のおきてである「モーセの十戒」を覚えました。こうしてイエスは成長し、知恵深い、たくましい少年へと成長していきました。

 イスラエルのならわしでは、男の子が12歳になると大人の仲間入りをすることになっています。この年、イエスは両親に連れられて「過越(すぎこし)の祭り」を祝いに、エルサレムに出かけました。「過越の祭り」というのは、イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出したことを記念する、ユダヤ最大の祭りです。町は人であふれ、活気に満ちています。

 祭りが終わってナザレに帰路を急いでいたとき、ヨセフとマリアは丸一日、イエスがいないことに気付かず、エルサレムに引き返して捜しまわりました。そのときイエスは、神殿の中で教師たちの真ん中に座って、彼らの話を聞いたり質問したりしていたのです。周りにいた人々は少年イエスの聡明さに驚嘆しました。

 そんなイエスを見たマリアは何と言ったのでしょうか。「どうしてこんなことをしたのか。皆を心配させて」と叱ったのです。イエスはがっかりしました。「私のことが分かっていない」。

 ヨセフとマリアは、天使や夢によってイエスが特別な宗教的使命を持っていることを教えられていたはずです。こんな言葉を投げかけたマリアは、昔の事を忘れてしまったのでしょうか、生活に追われもうどうでもよかったのでしょうか。

 イエスには弟が4人、妹が2人いて、父ヨセフは、イエスが20歳の頃に亡くなりました。生活は楽ではありません。イエスは家業の大工仕事にいそしみました。

王に首を切られたヨハネの寂しい最期

 紀元27年の暮れ、死海に近いヨルダン川の渓谷に激しい修行を繰り返し、「悔い改めよ、神の国は近づいた」と叫ぶ預言者が現れました。ヨハネです。力強く荒野にこだまするこの声に胸を打たれて、人々はヨハネの下に「バプテスマ(洗礼)」を受けにやってきました。弟子も多く集まっていました。

 「ヨハネこそ、キリストではないか」といううわさはイエスの耳にも入りました。イエスはヨハネを訪ねます。

 「私もバプテスマを受けさせてもらいたい」と申し出るイエスの姿を一目見たヨハネは、例えようもない迫力を感じました。この人こそ私が待ちに待った人物――ヨハネの霊感が騒ぎます。

 「いえ、私にはあなたのくつを脱がせてさしあげる値打ちもありません」

 「今は受けさせていただきたい」

 ヨハネがイエスにバプテスマを授けたということは、彼が築いたすべての基台をイエスに移したということになったのです。

 「イエスこそ神の子、キリストだ」

 ヨハネには確信がありました。事実、弟子にもそうもらしました。そこまではよかったのです。が、問題はそこからです。

 ヨハネの言葉を聞いて、イエスの元に行こうとする弟子が何人かいました。

 「私もこの人について行かねばならない。しかし、私は祭司長の息子。彼は何だ、ただの大工のせがれではないか」。生まれが良く、激しい修行を積んできたヨハネは内心穏やかではありません。ヨハネの自尊心はみすぼらしいイエスの後に従うことを許さなかったのです。

 そのころヨハネはヘロデ王の不倫問題を激しく糾弾していました。初めのうちはヨハネの評判に遠慮していた王も遂にヨハネを牢獄につなぎます。

 イエスはヨハネとの一体化を断念しました。国家復帰の基台をつくるべく伝道の旅に出ます。

 「ヨハネの使命は終わった」――大きい使命を持った者ほど果たせなかったときの最期は寂しいものです。王の不倫相手の娘が上手に踊りを踊ったその褒美に、ヨハネの首が欲しいとねだったのでした。

 王は約束した手前、仕方がありません。ヨハネの首を盆に乗せて娘に渡しました。

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 次回は、「『全人類の神』を説く」をお届けします。