2022.06.16 22:00
新 堕落性の構造 32
現代人に不幸を招来する「心のゆがみ」。そんな悩みの尽きないテーマをズバッと解説! 人間堕落の根源からその原因を究明している一冊です。毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
阿部 正寿・著
10 遠慮で隠す自己の罪
◉結果的に自分をかわいがる心
遠慮とは、読んで字のごとく“遠き”を慮(おもんぱか)ることです。相手の立場を考えてあげることを意味しています。こう言えば謙遜でいいような気がしますが、総じてマイナスのほうが多いようです。例えば、ものを買うとか、家を借りるとか、何かの約束をするなどの場合、聞くべきことを全部聞き念を押し、確認してやらなければとんだ目に遭います。
それを遠慮して、言うべきことをハッキリ言わずあいまいにしたまま契約をすると、結局は長続きせず、自分も損害を受け、相手にも損害を与えることになり、自分の遠慮のゆえに相手までマイナスの結果に引き入れていくことになります。
遠慮の逆の言葉は、率直とかフランクということになると思います。吉田兼好の徒然草にも「おぼしき事言わぬは腹ふくるるわざなり」という名文句があります。結局、遠慮して言うべきことも言わないでいると、その思いがたまって気持ちがスッキリせず、人間関係もうまくいきません。人間関係がうまくいかないところに発展はありません。
遠慮の構造を分析してみると、一見相手のことを気遣っているように見えますが、実はそうではなく、自分の心をオープンにできないので、それ以上授受作用を結ぶことが煩わしいのです。
言いたいことをハッキリし、やりたいことをやるためには、自分も相手から言われるべきことを言われ、要求されるべきことを要求されなければ成立しません。相互(授受)作用の原則からいっても当然そうなるべきです。
しかし遠慮する人には、自分が言われたり、自分の心をオープンにできない、つまり自分をソッと隠しておきたい部分があるのです。そこまで触れるようになることを恐れて、途中でストップしているのです。ストップから先が、遠慮として表現されるわけです。こう見てくると、遠慮は相手のことを慮っているように見えますが、実は自分の隠しておきたい部分をかばうことの投影で、近き慮りから出た“近慮”にすぎません。“遠慮は損慮”という諺(ことわざ)がありますが、“遠慮”は“近慮”なのです。
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次回は、「人間始祖からの罪の結果」をお届けします。