https://www.kogensha.jp

通いはじめる親子の心 8
子供に寄り添う

 本書に出合った時からが子育ての新しい出発です。もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
 「通いはじめる親子の心」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

多田 聰夫・著

(光言社・刊『通いはじめる親子の心〜子供の気持ちに「共感」する』より)

第一章 子供は「育つ」もの

子供に寄り添う

 子供の気持ちを感じるように努めながら、親としての自分の気持ちを率直に伝えることです。子供と共感し合ってこそ、授受作用ができるのです。

 授受作用は、ある面、横的関係です。横的関係も原理的なものです。横的関係を結ぶ中に初めて、親子が心を一つにできる道があります。横的関係を通して愛が成長するのです。

 「親は権威を持って子供を扱うべきだ」という考え方があります。親が権威を持っていなければ、子供がつけ上がり、親の言うことを聞かなくなるので、親が権威を持って命令、あるいは指導し、躾(しつけ)をしないといけないというのです。これは、親が子供を「教えて」育てようとするものです。

 しかし、大抵、そのような親は、子供を愛することに自信がなく、子供としっかり向き合って授受作用することができていないのです。それで、親だからというだけで従わせようとするのです。

 子供としっかりと向き合い、愛情が子供に届いていることが分かれば、子供の心と一つになることができるようになります。

 上から目線では、親子が心を一つにすることはできません。親が上から目線で自分を見つめていることを、子供は敏感に感じ取っているのです。

 親の感想を紹介します。

親の感想:
 「親の権威をかざして子供に接することが多く、『〜しなさい』を日々連発していました。私の姿勢や行動が変わることによって子供が変わっていく、成長していくということが分かりました。それを妨げていたのは自分だったと思います。いつの間にか、自分の思いを中心にして判断し、行動していたことを反省しました。もっと子供の気持ちを分かってあげていきたいと思いました」

 文鮮明先生のみ言に、次のようなものがあります。

 「一心になろうとすれば、一つは上にあり、もう一つは下にあるという状況ではできません。父が上にいて息子、娘は下にいる、それでは一心になれないのです。同等な立場で平面的に位置していてこそ、一心になれるのです。
 ……夫婦も同じです。横的関係において内外関係、前後関係の位置に立ってこそ一心になるのであって、上下関係では絶対に一心になれません」(『後天時代の生活信仰』44ページ)

 親子は、同等な立場で平面的に位置していてこそ、一心になれるのです。これはすべての人間関係に当てはまります。子供と心を通じ合えるようになりたいなら、親は子供の上にいるのではなく、子供の横に来て、寄り添うように接することが必要です。子供を背負ってあげる気持ちで寄り添ってあげることが必要なのです。そうすれば、子供が親を信頼し、慕って、横にいる親を、上へと押し上げてくれるのです。

 皆さんは、なぜ神様が好きなのですか? 上にいて命令してくれるからですか、指示してくれるからですか? 権威を持っているからですか? どうでしょうか?

 「足跡」(Footprints)という詩があります。キリスト教信仰の詩として有名なもので、作者はマーガレット・F・パワーズです。

 人生には、時には、神様から見捨てられたのだろうかと思われるような試練があります。しかし、神様はいつでも、むしろ困難なときにこそ、共にいてくださるのだということを教えてくれる詩です。

 次のような内容の詩です。

 ある夜、私は主とともに渚を歩いている夢を見た。これまでの私の人生が暗い夜空に映し出されていた。どのシーンにも、砂の上に二人の足跡があった。一つは私のもの、もう一つは主のものだった。

 これまでの人生の最後のシーンまで映し出されたとき、砂に残された足跡を見ると、一つの足跡しかない所があった。それは私の人生の中でどん底で、最も悲しい時だった。

 私は主に尋ねた。

 「主よ、私があなたに従うと決心した時、あなたは私に、すべての道において、私と共に歩み、私に語ると言われました。それなのに、私が最も苦しい時に、一つの足跡しかありません。私が最もあなたを必要としている時に、あなたがなぜ私を見捨てたのか、とても理解できません」

 主はささやいた。

 「私の愛する子よ、私はあなたを愛している。あなたを決して見捨てない。まして、あなたが苦労や試みに遭っている時などに。足跡が一つしかないと見える時、私があなたを背負って歩んでいたのだ」

 足跡が一組しかなかったのは、神様が私を背負って歩んでくださったからだったのです。神様は、幼い子供である人間を背負って歩んでくださっているのです。私の横にいたのではなく、私の下にいてくださったのです。

 私たちも、子供と「一心」になるために、まずは「同等な立場」、「平面的な位置」に立たなければならないのではないでしょうか。

 私たちが神様が好きなのは、神様がいつも私と共にいてくださるから、私の気持ちを分かってくださっているからでしょう。私たちも、子供の気持ちを共に感じてあげる、共感してあげましょう。共感してくれたときに、「分かってくれている」と感じるのです。

---

 次回は、「子供の気持ちを理解していますか」をお届けします。


◆『通いはじめる親子の心』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ