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スマホで立ち読み Vol.16
『いちばん大切な人と仲良くなれました』2

橘幸世・著

(光言社・刊『いちばん大切な人と仲良くなれました』より)

 スマホで立ち読み第16弾、『いちばん大切な人と仲良くなれました』を毎週月曜日(予定)にお届けします。
 同書は2018年から2019年秋までにBlessed Lifeで配信された「エッセイ夫婦愛を育む」の内容を書籍化したものです。
 人間関係を良くするための気付きやヒントをくれる、そんな一冊です。

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第1章 自分のベストフレンドになる
― 自分を嫌っていませんか?

つい自分を責めがちになりませんか?

 不登校を扱ったテレビ番組で、ある父娘(おやこ)のケースが紹介されていました。

 父親は娘をとても愛していましたが、立派に育てなければと厳しく接し、娘は父の期待に応えようと勉強を頑張ります。学校でいじめに遭いますが、そんな自分は父の期待像から外れているので、黙っていました。しかし、やがて彼女は限界に達し、「学校には行きたくない。こんな私で(お父さんの願うような娘でなくて)ごめんなさい」と父親に打ち明けます。

 娘のただならぬ様子に、父は「分かった。行かなくていいよ」と全面的に受け止め、父娘関係は新しい次元へと移ります。期待の枠から解き放たれた娘は、フリースクールに通うようになり、笑顔が戻ります。そして、「以前は、お父さんの顔が怪物のように怖く見えた。今は、お父さんが愛してくれていることが分かる」と語るのでした。(「怪物のように怖く」とは、親の立場にいる者にとってはなかなか衝撃的です)

 この言葉を聞いて、「ああ、父親はずっと娘を愛していたんだけれど、それが伝わらなかったんだ。“かくあるべき”“期待”という壁にブロックされて、彼女には父親の愛が見えなかったんだ」と思いました。

 神様が神霊と真理で私たち人間を導かれるように、親も愛と規範をもって子を育てます。愛と規範、どちらが欠けても、どちらに偏りすぎても支障が出ます。愛していながらも、「きちんと育てなければ」という思いが前面に出ると、この父娘のように、愛が伝わりづらくなってしまうのかもしれません。

 一般的に、信仰者の家庭に生まれた子供は、ややもすると自己肯定感が低くなりがちと言われます。何か悪い事が起こると、自分のせいではないかと不安になるのです。厳格な戒律が強調される信仰ほど、その傾向は強いかもしれません。

 素朴な生活を今なお堅持するキリスト教の一派、アーミッシュの少女を主人公とした物語の中で、偶然彼女と言葉を交わした精神科医が、「あの共同体の子に共通して見られるように、彼女も自己肯定感が低い」と言っていたのが印象的でした。

 また、アルジェリア出身の友人が「イスラム教の戒律のもとで育った自分は、(かつて)道に何か落ちているのを見ても、自分が悪いことをしたのではないかと不安になった」と話してくれたことがあります。

 神様も親も、愛してくれている、許してくれる、と頭では分かっていても、自分に非があるのではと考える癖がついていると、誰が責めなくても、勝手に自分が責めます。天の前にきちんと清算したにもかかわらず、過去の負債をずっと引きずっている人もいます。愛と許しを受け取りきれないと、心に重しがのっているようではないでしょうか?

 復帰途上、成長途上の私たちは不足な点があって当然です。子供の成長を見守る親は、子供が(できない事で心配する以上に)できるようになった事を見て喜ぶものです。自分を責めがちな人は、そんな親(神様)の愛情をもっと信じ、受け止めて、良い意味で楽になりましょう。

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 次回は、「自己肯定感が低いと愛を受け止められない」をお届けします。お楽しみに!



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