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霊界の実相と地上生活(39)
遍在される全知全能なる神様

 36家庭の李相軒(イ・サンホン)先生(1914~1997)が霊界のさまざまな事実を証しされたメッセージ、「霊界の実相と地上生活【霊界の様相編】」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。

世界平和統一家庭連合

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)

第二部 天上天下の救世主・真の父母
第一章 神様の実存
三 遍在される全知全能なる神様

李相軒先生

遍在される全知全能なる神様
 いくら人間の知性が発達して科学や文明が進歩しても、神様は決して人間の研究対象にはなりえません。それは天地万物の創造主が神様であり、すべての科学や宗教や哲学の主人は神様であるからです。そんな人間が、どうやって神様を研究したり分析したりできるでしょうか。

 私は粛然とした謙虚な姿勢で、「神様、私はもう降参です!」と告白したいのです。これが最も賢明な判断だと思います。これは私の率直な告白でもあります。心をどんなに無にしてみても、私の心の片隅に消えずに残っているものがありました。それがほかでもない神様の存在でした。私は、そんな神様の姿を完全に明らかにしてみたかったのです。

 しかし、ここ霊界に来て、神様の姿を様々な次元から見つめてみたところ、それが難しいということをさらに悟るようになりました。神様の姿は様々で、多様に、膨大に現れるため、神様の分析をどこから始めたら正しく究明できるのか、その方法自体が全く思い浮かびません。実際、人間の理性をもってしては究明できないお方が神様なのです。

 それゆえ、私は率直に告白します。「おお、我が神よ、あなたはやはり創造主であり、唯一無二なる神様であられます! そしてあなたは人間の分析の対象では決してありません」。私はこのように確固として動かぬ結論を下しました。そして私は、今や心に訳もなく湧いてくる神様に関するすべての疑問を完全に捨てることに決めました。

 それは一種の時間の浪費にすぎないし、また一方では、神様の前に大変な親不孝になると思います。「私は唯一無二なる天の父母の子女である」と確信を持って言えるならば、それこそ私の最大の幸福であり、私はその事実に対して心の底から感謝するばかりです。私たちはみな「神様の真の子女」であることを誇るべきです。そして、誰かが神様の前に何らかの形容詞をつけて神様を説明しようものなら、その者は自分の無知さを自ら立証する結果を招くことになるのです。

 最先端の科学と文明の前でも、私ははっきりと明言できます。人間は自らの知性や知恵、その偉大な業績や学問、文化などといったものを神様の前に少しも誇ってはならないのです。もしも自慢する者があれば、親なる神様は彼を上から見下ろしてにっこりと笑い、「苦労しているね。私が助けてあげよう」と言いながら、かえって慰めてくださることでしょう。私たちは神様の前に、自らの心も体もすべて無にしなければなりません。親なる神様の前に丁重にひざまずき、私たち人間の驕慢(きょうまん)性に対して手を合わせて謝罪すべきです。

 「神様! 私はここにいます。私の行く道を導いてください。私の人生のすべてを神様にゆだねて正しい道を歩みます。神様の子女として私を受け入れてください」と言いながら、天の父母に率直に懇願しなければなりません。いつかは、誰もが例外なくこの霊界に来なければならないのです。こちらで神様の前に常に堂々たる姿で生活できる、真の子女の位相を身につけたかどうかを毎日毎日点検していきましょう。

 地上生活に終わりを告げる道は、人生のたそがれに迎えるものとは限りません。皆さんが全く予期も準備もしないうちに、こちらに突然来るという場合もあるのです。ここを避けて通れる人は一人もいません。天理原則をどうして避けていくことができるでしょうか。若い全盛期の人生を好き勝手に生きながら、人生のたそがれを迎えてから霊界の生活を準備すればよい、と考えてはいけません。私たちの父母である神様は、自らの子女を迎えるとき、必ずしもその人のたそがれの時期に召していかれるとは限らないのです。

 もしも父母を迎えたならば、すぐさま父母にお仕えすることが私たち子女の道理であり、規範ではないでしょうか。私たちはみな、神様が自らの父母であることを誇りに思い、これからは私たちの父母なる神様が少しも孤独を感じることがないようにお仕えしましょう!

 私たちは「原理」を通して復帰原理を学んだはずです。私たちは、それを私たちの現実生活に適用して真の父母様に侍(はべ)り、常に喜びながら幸福な生を営んでいけるように精進していきましょう。

19991129日)

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 次回は、「動物の世界」をお届けします。


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