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続・日本統一運動史 16
アメリカへ出発

 真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第四章 真の御父母様との一体化時代
一、真の御父様、21年ぶりの御来日(1965. 1. 282. 12

(19)アメリカへ出発(1965. 2. 12
1. 揮毫
 1965212日午前8時過ぎ、東京本部礼拝堂にて揮毫を書かれ、祈祷されて空港に向かわれました。

「天地共楽地」「復帰園東京」

2. 出発
 真の御父様御一行は、午前10時、羽田発の日航806便で、ホノルル経由サンフランシスコに向かわれました。
 「12日の羽田空港には、約150名の聖徒が乗用車、バスを連ねて見送り、聖歌を合唱…。午前940分、出国手続きを済まされた大先生は随行の崔先生と共にゲートへ進まれた。見送りデッキに向かって大きく手を振られ、タラップを昇られた大先生、崔先生、機上から、見送りの聖徒のうち振るハンカチーフに、ヴィクトリー(勝利)のVの字を示され、見送りの聖徒の胸中に、必ず勝利するという、強い決意を湧き起こさせられた。」(『成約新聞』特集号、1965. 3. 15付より)

◇石井トミ子さんの証し
 「御父様が帰国される1965212日、羽田空港に見送りに行きました。御父様が乗られた飛行機が見えなくなるまで手を振り、祈りを捧げました。するとその時、横で美植ママはさめざめと泣いていたのです。美植ママは、私にこのように言われました。『トミちゃん、先生はこの日をどれほど待ったか知れないのよ』。」(『ファミリー』1997年10月号)

▲羽田空港にて

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 次回は、「第一次世界巡回路程期間」をお届けします。

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