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信仰と「哲学」101
希望の哲学(15)
キルケゴールとマルクス

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 キルケゴールとマルクスを絶望の視点から記述してみます。

 両者を比較すると、その類似点に驚きます。
 まず、同時代に生きていたことです。キルケゴールは1813年に生まれ、1855年に亡くなりました。一方、マルクスは1818年に生まれ、1883年に生涯を閉じています。

 それぞれが哲学史に大きな足跡を残しましたが、共に父親との葛藤、キリスト教信仰への懐疑、結婚問題を抱えながら思想を形成していきました。共に55日生まれでもありました。

 キルケゴールはデンマークの熱心なクリスチャンの家庭に生まれました。
 厳格な父親との葛藤や家族の不幸、特に兄弟姉妹の早過ぎる死(7人中5人)や母親の死(キルケゴールが21歳の時)が続き、キリスト教への懐疑から不信へと落ち込んでしまいました。

 しかし彼が「大地震」と呼んだ転換を経て、キリスト教を取り戻し、父親と和解したのです。そして神に至る哲学、実存哲学を表すことになったのです。

▲キルケゴールとマルクス

 一方マルクスは、プロイセン(現在のドイツ)に生まれ、ユダヤ人でありユダヤ教からキリスト教に改宗した父を尊敬しながらキリスト教信仰を高めようと努力しました。

 しかし、結婚問題を契機に父親との葛藤に陥ります。ついに父親と決別すると同時に神との決別、復讐(ふくしゅう)の哲学を構築するまでに至るのです。

 マルクスは、逢着した絶望を肯定し、絶望の原因となった全てを破壊することにより絶望状態の自分を貫徹しようとしたのです。

 彼の思想形成の原点となったとみるべきが、19歳で父親に送付した決別の手紙に記されていた「絶望者の祈り」(1837年/改造社版『マルクス・エンゲルス全集』第26巻より)です。

 「神が俺に、運命の呪いと軛(くびき)だけを残して
 何から何まで取り上げて、
 神の世界はみんな、みんな、なくなっても、
 まだ一つだけ残っている、それは復讐だ!
 俺は自分自身に向かって堂々と復讐したい。

 高いところに君臨してゐ(い)るあの者に復讐したい、
 俺の力が弱さのつぎはぎ細工であるにしろ、
 俺の善そのものが報いられないにしろ、それが何だ!

 一つの国を俺は樹(た)てたいんだ、
 その頂は冷たくて巨大だ
 その砦(とりで)は超人的なもの凄さだ、
 その指揮官は陰鬱(いんうつ)な苦悩だ!

 健やかな眼で下を見下ろす人間は
 死人のように蒼(あお)ざめて黙って後ずさりをするがいい、
 盲目な死の息につかまれて
 墓は自分の幸福を、自分で埋葬するがいい。

 高い、氷の家から
 至高者の電光がつんざき出て
 俺の壁や部屋を砕いても
 懲りずに、頑張って又建て直すんだ」 

 何が両者の哲学の道を分けたのでしょうか。
 キルケゴールの言う「大地震」に秘密がありそうです。

 次回、もう少し説明を加えることにします。