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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(53)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
四、興南解放と釜山伝道

▲金元弼先生

平壌で先生をお迎えする

 先生は、生き残ることができないような状況下で牢屋から出られて、平壌まで400キロを歩いて帰るのに10日間かかりました。先生が出られた時には、お一人ではなく、牢屋の中で弟子になった方が、自分の家に帰らないで、先生に生涯侍るということで、そのまま平壌までついてきました。そういうことを見ても、先生をどのように理解していたかを知ることができると思います。自分の家庭をもっている人なのに、そして家が牢屋から近い所にあるのに、その家に行かないで、そのまま先生についてきたのです。

 平壌までの10日間の生活は、戦争の真っ最中でしたので、共産軍は北の方に逃げ、UN(国連)軍が追い掛けてくるというものでした。逃げ遅れた者は南の方に行き、誰が誰やら分からないような時でした。共産軍は全員頭を刈っているのですが、先生御自身も牢屋に入っている時に頭を刈られていました。ややもすれば、国連軍や韓国の国軍に会っても誤解されて、何回も処刑されそうになったのですが、乗り越えて、生きて帰ることができました。

 また、食べる物が全然ありませんでした。冬の初めでしたから、山に行っても、農家の人はみんな避難していて、食べ物も何もありません。あるのは腐って凍ったじゃがいもくらいのもので、それを食べながら平壌まで何とか無事に帰ってきました。

 一つ不思議なことがありました。先生が訪ねようとされたのは玉世賢(オㇰセヒョン)という霊能者の家ですが、そこに私が一緒にいました。先生は、その霊能者の家を御存じだったのです。
 先生と一緒に来た弟子の一人が玉さんの家に送られてきたので、その人について先生の所に行くと、そこには刑務所から出てきた数多くの人たちがいました。先生は玉さんの家から4キロ離れた、おばさんの所にいらっしゃいました。私は、その弟子に連れられて、先生がらっしゃる所へ行き、先生をお迎えして玉さんの家に戻りました。
 その時、私は、「どうして先生は、直接玉さんの家に来られなかったのだろうか」と考えました。皆さんはそういうことに対して、何も不思議に思いませんか。私たちが先生を本当に先生として信じて侍るならば、戦争の時であっても、自分の生命よりも先生の生命を考えて、「先生はどうなったんだろう」と案じながら、興南まで行って、先生をお迎えしなければならなかったはずです。

 皆様だったらどうでしょうか。先生は牢屋の中にいらっしゃいますから、それを案じて、「いつ出られるか、無事に出られるか」と思いつつ待って、先生をお迎えして、平壌まで帰らなければいけなかったと思います。ところが私たちは、そういうことが全然分からずに家にいたのです。先生が直接訪ねてこられなかったのは、先生のいらっしゃる所まで訪ねていって、先生を迎え入れたという立場に、私たちを立たせんがためだったのだと思います。

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 次回は、「40日間、弟子たちを訪ねる」をお届けします。


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