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新・熱き祈祷のすすめ 64

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「新・熱き祈祷のすすめ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 祈りの必要性や祈りの種類、実践方法をまとめた祈祷の手引書です。

松本 雄司・著

(光言社・刊『新・熱き祈祷のすすめ』より)

第十章 子女への祈祷教育の仕方

2 子女の成長過程と祈りの教育

④自分の言葉での祈り(小学校高学年~中学生)
 基本としての簡単な文章のお祈りができるようになったら、その後は生活の中でできるだけ本人に祈りの順番を与え、お祈りをさせるようにします。そうするとだんだんと決まった言葉ではなく、自分の言葉でお祈りができるようになります。また、真剣に祈っている親の姿を見ながら育っていくことができれば、子女は深い感化を受けていきます。

 ただ、気をつけなければならないことが一つあります。ちょうどこのころ、つまり、小学校高学年から中学、そして、高校生ころまでは、いったん神様という存在が実感としては分からなくなる時期があります。大人は、このことに気がつかない場合があります。

 幼児や小学校低学年の時には、「神様、○○○○……」と祈っていたとしても、厳密な意味での神様、すなわち、天地創造の無形なる霊的実在としての神様を理解できているのではなく、絵本に書いてある、丸に目や口を描いたお日様のような顔の神様を神様と理解している段階で、高度な抽象的概念としての神様はまだ理解できない年齢です。ただ、両親が「神様」をとても慕っているし、畏れ多く敬っていることは感じるので、「何か尊い存在なのだなあ」というぐらいの認識の段階です。

 こんなお話があります。あるとき、幼稚園児の子女に「神様って知ってる?」と聞くと、「知ってるよ」と答えてくれました。「どこにいるの?」と聞くと、「ココ!」と絵本に書いた「お日様のような絵」の神様を指さしました。また、ある家庭でのことですが、小学生の祝福二世が、学校で神様のことを話しました。すると、友達から「神様なんていないさ」と言われ、「いや、ちゃんといるよ」と論争になりました。友達が「いるんなら見せてみろ」と言うと、その子は「じゃ見せてあげるから、ついて来て!」と言って自宅に駆け込んで、何かを持ってきました。「ほら、ここにちゃんといるよ」とかざしたのは、真の父母様のお写真でした。両親がいつも「神様……」と言いながら、お写真に向かって祈っているので、彼にとってはそれが「神様」です。

 このように、幼いころは神様を抵抗なく受け入れていた子供が、小学校の高学年になると、科学的知識もついてきて、周りの友達や学校の先生も神様を信じていないので、今まで信じていたものが“神様”ではないと感じるようになります。かといって、“時間空間を越えて実存する無形なる神”というような高度な抽象的概念はまだ理解できにくいので、“いったん神様が分からなくなる時期”があります。個人差はありますが、大体、小学校の高学年か中学生から、高校生ごろまでです。

 そのために、この時期に、敬礼式や祈祷などの信仰儀礼を嫌がるようになったり、素直に従わなくなったりすることがあります。両親は、「今までまじめにやっていたのに、最近は反抗的で不信仰になった」と思い込んで、厳しく叱りつけたり、罰を与えたりしてしまう場合もあります。しかし、神様の存在自体が、実感としてよく分からないのに、形式としての敬礼式や礼拝、祈祷会などを強制的にやらせられると、本人にとっては苦痛で非常に反発を感じ、場合によっては教会や親の信仰活動が嫌いになって、成人するとともに教会から離れてしまうこともあります。

 したがって、この時期は、あまり細かいことで口やかましく叱ったり、無理に形式を押し付けたりすることは控えて、「悪い道にそれなければよい」というくらいの大きい心で見守ってあげることも大切かと思います。

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 次回は、「祈りにおける自立(高校生の年代)」をお届けします。


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