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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(50)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
三、興南監獄での伝道

▲金元弼先生

「神の前の私」を考える

 結論として、次の話をしたいと思います。
 牢屋の中でも、まだまだ心を悔い改めない人がいて、同じ部屋の人たちをよく殴ったり、苦しめたりする問題の人がいました。一緒の囚人たちは、「あの人がいなかったらいいのに」「誰かあの人をやっつけないかなあ」という心をもちながらも、自分ではどうすることもできないのです。怖がりながらも、何も言えないで、いじめられるままにならなければならなかったのでした。

 先生は、部屋の人たちの前でその人を呼んで、「私たちはなぜここに入ってきたのだろうか。ここでも、こういうことをしてもいいのでしょうか」といろいろお話ししてあげました。ところがそれ以後、先生は祈ろうとしても、祈りが出てきませんでした。お祈りの道がふさがれ、暗黒の中をさまようような一週間が過ぎて、一週間後に初めてお祈りができたのです。その時の喜びの心を述懐していらっしゃいました。

 善くない人に忠告してあげただけなのに、なぜそういうことが起こったのでしょうか。人が悪いことをしたときに、「お前、こんなことをしてはいけない」と教えてあげるのは、良いことですか、悪いことですか。百度考えても、それは良いことです。

 ところが、こう考えてみましょう。
 先生に叱られたどろぼうというのは、ちょうど「神の前の私」というかたちでとらえてみないといけません。言い換えれば、「善くない人」と「私」がいるとします。「善くない人」を「私」が見ているとしたら、私の前にいるこの人は、ちょうど神の前にいる私に当たるということです。

 「お前が悪い」と人に忠告して言う前に、まず神の前の自分を考えなさいということです。善くないものを見た時、「神様、私はあなたの前で、このように善くない者です」と自分を省みるのです。「神はこういう者を許して、愛して、また信じて導いてくださる」という感謝の心をもたないといけません。そういう心をもってその人を見るときに、「あなたが悪い」と言えますか。例えば、どろぼうした者がどろぼうに対して、「お前、どろぼうするな」と言えるでしょうか。このために、先生の心が一週間真っ暗になったことを考えてみてください。

 皆様がこのことをよく心得て生活するならば、カイン・アベルの問題は、絶対に起こりません。メンバーから尊敬される人になり、先生の心、親の心、神の心がよく分かるようになります。

 ここに、皆さんが言う問題児がいるとしましょう。その人を見て、「お前、問題児だね」「はい、そうです」、これこそ問題です。神が考える問題児が問題児か、私たちが考える問題児が問題児か、誰が問題児ですか。要するに、私が考える人が問題児ではなく、本当の問題児は私です。私は、神から見た問題児なのです。

 ですから、私が皆様にいつも言っているように、「問題児だ」と言う人が問題児です。なぜですか。私は神から見た問題児であるし、「私が問題児だ」と言う人は、私から見た問題児であるということで、そこが違うのです。

 ですから問題児を考えるときには、私が問題児であるにもかかわらず、神は許して信頼し、復帰摂理の責任を任せ、私をして神の国を実現させようとしている、その神を考えなければなりません。

 兄弟の中には、「リーダーが問題だ」と言う人がいますが、そう言う兄弟こそ問題児です。そういう自分を見るときには、神に感謝の心をもって考えてみなければいけないのです。

 これが先生の教えです。先生は、私たちに教えてくださるときには、御自身がそういう神を考えながらお話ししてくださるのです。先生は、常に神の心を中心にしていらっしゃることが分かります。そこが違うのです。先生から何か言われても感謝の心が出てくるのは、そういう動機から教えてくださるからです。

 先生がアメリカに来られたときに、アメリカが国を挙げて反対するのを見て、どのように考えられたでしょうか。先生は、「私が、1946年に、早く来ていればこんなことはなかったのに、遅れて来たからこういう目に遭っている」ととらえられたのです。

 皆さんはよく、「人のために尽くしなさい」「許しなさい」と言います。誰もがよく分かっているのに、なぜできないのですか。それは神の心情を中心としないで、自分を中心として考えるからです。「先生は常に神の心を中心にしていらっしゃる」ということを忘れてはいけません。そういう先生の真の子供になるには、先生と一体となった心をもっていなければなりません。

 メンバーの悪口を言うリーダーも、自分のリーダーを悪いと言うメンバーも良くありません。夫婦の関係も同じです。自分の奥さんの悪口を言ったり、だんなさんの悪いことを人に言ったりするくらい悪い人はいません。メンバーが悪いと言うのは、神の前、真の親の前で、「私はこんなに悪い者です」と言うことと同じです。特に復帰摂理路程にあっては、カインの立場の人は、いくらアベルに足りない点があっても、アベルに対して不平不満を言うとすれば、復帰の道はありません。

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 次回は、「不平不満を乗り越える」をお届けします。


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