2022.04.13 12:00
はじめに
太田 朝久
太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。
はじめに
神の啓示の書である聖書は、実に数多くの人々の心をとりこにしてきました。旧約聖書について言えば、その最初の書「創世記」ほど、歴史を通じて人々の心を強烈に引きつけてきた魅力的な書物は、ほかになかなか見いだせないのではないかと思います。
初代キリスト教会最大の教父・アウグスティヌスは、生涯、五度にわたって創世記と取り組み、「創世記注解」を行っているほどです。彼が繰り返し、繰り返し注解を行った書は、創世記以外にありません。それほどまでに、創世記はアウグスティヌスの心を強く引きつけたのでした。
さて、これから「統一原理から見た聖書研究」ということで連載していきますが、神様が「創世記」という一冊の書物を通して、私たち人類に何を語りかけようとして来られたのか?
それを統一原理の観点から読み解きながら、順を追って書き進め、そこへ随時、創世記に含まれている私たちの信仰生活に役立つと思われる教訓的な内容、および「統一原理」研究に取り組んでいる講師たちのニーズに合った内容等についても、できるかぎり取り上げて、それらを分かりやすく解説していきたいと考えています。
創世記
具体的な創世記研究に入る前に、まず基礎的なことを確認しておきたいと思います。
特に重要なことは、「統一原理」と「聖書」の関係性について、それを正しく理解しておかなければならない点です。なぜならば、私たちは得てして、旧・新約の両聖書を、学問的に、深く、緻密(ちみつ)に研究し尽くしていったその延長線上に、「統一原理」という新しい理論が現れてきた…、と考えやすいからです。ところが『原理講論』をていねいに読んでみると、そのように考えることは、実は“正しくない”という事実が分かってきます。
「統一原理」と「聖書」の関係
例えば、『原理講論』の総序に、「人間を生命の道へと導いて行くこの最終的な真理は、いかなる教典や文献による総合的研究の結果からも、またいかなる人間の頭脳からも、編み出されるものではない。………この真理は、あくまでも神の啓示をもって、われわれの前に現れなければならない」(37~38ページ)と述べられています。
ここでいう教典や文献には、当然、聖書や、従来あった聖書 注解書、および神学書等々が含まれてくるというのは言うまでもないことです。つまり、最終的な真理として現れてきた「統一原理」とは、人間的な知恵を振り絞って、聖書研究をした結果、現れてきた理論ではなく、あくまでも再臨主であられる文鮮明(ムン・ソンミョン)先生を通じて、新しい“神の啓示”として登場してきたものにほかならないのです。そこに「統一原理」が新しい真理と呼ばれるゆえんがあります。
この点について、もう少し深く考えておきたいと思います。例えば、私たちが推進している統一運動のメイン行事として、国際祝福結婚式がありますが、それは「統一原理」の最も言いたいポイントが、神の愛を中心とする理想家庭を基盤としてこそ、初めてそこに理想世界(天国)が実現すると考えているからです。
ところが、人間始祖アダムとエバが“不倫なる愛”によって堕落することで、神の創造理想が失われてしまったため、それを取り戻すために遣わされるおかたがメシヤなので、従ってメシヤとは、新婦を迎えて結婚をし、やがて勝利したアダムとエバとして「人類の真の父母」とならなければならなかったのだ、と考えているのです。
この「統一原理」の最も言いたい核心的内容が、旧・新約の両聖書を読んでみても――それを示唆、暗示する聖句があるにはあっても――すぐに万人が理解できるような表現として、明解に述べられているわけではないのです。むしろ、新約聖書を読んでみると、イエス様は人類の罪を贖(あがな)うため、十字架にかかって死なれるために来られたのだということが、至る所で強調されており、「統一原理」でいう肝心な「本当は、イエス様は結婚されるべきであった」という主張を見いだすことはなかなか難しいのです。
まさに、新約聖書は、イエス様の語られた「あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネによる福音書16章12節)というみ言を、裏づけるかたちで編纂(へんさん)されていると言わざるを得ません。
実は、この「統一原理」と「聖書」の関係性は、「イエス様のみ言(福音)」と「旧約聖書」の関係性についても同様に言える、2000年ぶりに再現された現象なのです。
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次回は、「『新約聖書』と『旧約聖書』との関係性」をお届けします。