至誠感天 家和万事成 29
知恵深い人とは

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。

(光言社・刊『至誠感天 家和万事成』より)

第一章 至誠感天

第四節 精誠に対する姿勢

精誠に対する姿勢⑥

 精誠を尽くしていく道において、どのような人が知恵深い人でしょうか。精誠を尽くすことで終える人ではなく、「私は、あの遠い世界に向かっていく人だ」と考える人です。希望とする所が遠ければ遠いほど不幸なのではなく、かえって幸福だというのです。キリスト教は、そのようにして発展してきました。希望とする所が遠ければ遠いほど、峠道が多ければ多いほど、一段階一段階越えていくのは大変ですが、精誠を尽くして行かなければなりません。

 それでは、精誠を尽くしたのに駄目だったとき、そこで倒れて滅びるのでしょうか。そうではありません。神様は、復帰摂理をされるにおいて、個人的な時代が過ぎれば、家庭的な時代を開いておかれます。個人的な時代において、そのみ旨を成し遂げることができる出会いの時をもてなかったとしても、家庭的な時代があるのです。家庭的な時代に行けば、個人的な時代よりもっと精誠を尽くさなければなりません。家庭的時代でその時を迎えることができなかったとしても、氏族的時代があるのです。

 そのような内容を知って、希望をもっていく人がいるとすれば、その人は一代で滅びません。滅んだとしても、次の時代が開かれるという事実が間違いなくあることを知っているので、自分の愛する子孫に、「お前はこのように行かなければならない」と遺言を残してバトンを渡し、再び出発できる道を開いておいてから逝(い)くのです。(451061971.6.20

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 明日は、「一片丹心①」をお届けします。