神様はいつも見ている 20
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

3部 霊界から導かれて
1. 姉を遣わしたのは須佐之男大神?

 音信不通の姉から久しぶりに連絡があった。

 「話があるから家族みんなに集まってほしい」という。

 姉が統一教会(現・家庭連合)に行ってしまってから7年がたっていた。

 「今さら会いたいって、どういうことだよ」

 姉のこととなるといつも私は不機嫌になる。

 「そんなこと言わないで、会ってあげたらいいよ」

 母は私をなだめるように言った。

 私は会いたくなかった。絶縁状態の姉と今さら会ってどうしようというのか。
 おそらく統一教会の教えを押し付けようというのが姉の魂胆に違いない。

 「勧誘には乗らない」、私はそう心の中でつぶやいた。

 その動機はさておき、母は久しぶりに娘が家に帰ってくるというので、会いたいという気持ちが勝っていたのだろう。姉を迎えて話を聞くというのだ。

 私は即座に断った。

 「姉とは会う気も、話す気もない」

 「そうは言うてもなあ。クミちゃんとはあんたも久しぶりやろ?」

 「義理人情を欠いた人間とは会いたくないんや」

 「あんたもお父さんに似て頑固やなあ」

 姉のことは考えたくもなかった。


 その夜、不思議な夢を見た。

 私は神道の信者だったので、キリスト教のことは何も知らなかったし、聖書も読んだことがなかった。

 ところが夢の中身はというと、どうやら聖書に書かれている内容のようだった。

 今なら分かるが、それは新約聖書の最終巻である「ヨハネの黙示録」の一場面だった。

 一人の天使が「その巻物を開き、封印をとくにふさわしい者は、だれか」と叫んでいる。

 その天使はラッパを鳴らしながら、「もう現れた」と言って、その巻物を渡してきた。

 なんと夢の中では、大勢の人々の前で、受け取ったその巻物について私が説明しているのだ。

 目が覚めた。夢だった。
 私は今まで見たことのないその夢の意味を考えた。

 姉と関係があることなのか。

 神様が私に何かを知らせようとしているのか。

 姉と会うことをかたくなに拒んでいた私の心は揺らいだ。

 「明日、行ってみようか。行くだけ行って、勧誘されてもその時は断ればいい」

 私が姉と会うことにしたのは、実はもう一つの理由があった。

 夢や啓示には、神様の意思が反映している。もしもその意思に反する行動を取った場合には、途端に体が金縛りに遭う。そんな体験を何度もしていたからだ。

 「行かなければ、また体が動かなくなるかもしれない」

 その日、実家の教会には父と母、兄夫婦、そして私たち夫婦が集まった。

 姉は相変わらず、化粧っ気のない顔と貧相な服装をしていた。

 しかし目だけはキラキラと輝いていた。

 姉の話を聞いても決して受け入れない。完膚なきまでに論破してやろうと私は身構えていた。

 姉はホワイトボードを使いながら20分ほど統一教会の教えである「統一原理」を解説した。

 普段から講義をしているせいか、その声は高く確信に満ち、そして何よりも生き生きとしていた。

 「変われば変わるものやな」

 姉は霊眼が開けて以降は、どちらかといえば、ひ弱で線の細さを感じさせていた。

 その姉が天下に響くような大声を発して堂々と講義をしているのだ。

 講義の内容は、霊界と地上界の関係性や霊人たちがどのようにして地上の人間に働き掛けてくるのかといったものだった。

 講義を聞いているうちに、私に不思議な現象が起こった。

 私のおなかから黒い煙のようなものが出ていったのだ。
 それは霊的に見えたものだった。

 同時に、「ああ、なるほど」という思いが湧いてきて、姉の言っていることがよく分かるようになった。

 霊界の仕組みはどうなっているのか、因縁はなぜ繰り返すのか、といった、長年抱いていた疑問が見る見るうちに解けていった。

 「姉ちゃんが統一教会に行くようになったのは、そういうわけか」

 腑(ふ)に落ちるものがあった。

 だが、私が驚愕(きょうがく)したのは、その次に起きた出来事だった。

 最初の講義が終わって休憩に入った時、突然、母に須佐之男大神(すさのおのおおがみ)が入ったのだ。

 須佐之男大神は私たちの神道の教会が祀(まつ)っている主神だったが、めったなことでは出てくることはなかった。

 年に数回、年中行事のメインになるような大きな行事のときに出てくるだけだったので、私は本当に驚いてしまった。

 須佐之男大神は、私たち家族を前にして、こう言った。

 「おまえたちは、この姉たち(統一教会の会員たち)が何をしているのか、知っているか」

 須佐之男大神の言葉は、いかづち(雷)のように私の肺腑(はいふ)を貫いた。

 確かにそのとおりだった。
 私は姉の活動について何も知らなかったし、知ろうともしなかった。

 姉の言うことなど最初から聞こうとせず、裏切り者と決めつけて憎んでいるだけだった。

 「食べる物も食べず、寝る時間も削り、神様のために、世界のために、日本のために歩んでいるのだ。私はそれを7年間、見てきた」

 当時、姉の通っていた統一教会は大変貧しく、食べる物もなかった。
 ご飯が食べられないので、ご飯の代わりにパン屋が廃棄するパンの耳をもらってきて食べているような状況だった。

 「ペットの犬に上げたいので、要らないなら下さい」

 パンの耳を油で揚げ、砂糖をまぶしてお菓子にしたり、マーガリンを塗って主食としたりして空腹をしのいだ。

 そういう苦労する姿をつぶさに見てきたと、須佐之男大神は言うのだ。

 「子供に苦労させたい親がどこにいるか。苦労をさせなければならなかった親の心が理解できるか」

 須佐之男大神は、涙ながらに訴えた。
 私たちは固唾(かたず)をのんで見守り、全神経を研ぎ澄ませながら耳を傾けた。

 「この教会の信者を見てみろ。どこに、本当の信者がいるのか。全部、自分の欲のためではないか。商売のこと、病気のこと、自分のこと、自分の家庭のことだけを願いに来るではないか」

 須佐之男大神は嘆きの声で続けた。

 「病気や仕事のことは、ある程度は助けてやることができる。でも、人の心を変えることはできない。だから、この娘をそこ(統一教会)に送った。あなたにも来なさいと言ったのに来なかったから、この娘はとても苦労したのだ」

 須佐之男大神が「人の心を変えることはできない」と言うのを聞いて私は驚いた。

 須佐之男大神であれば、何でもできるのではないか。
 実際、神様の力によって多くの人が病気などから救われているではないか。
 そんな須佐之男大神でさえ、人の心だけは変えることはできないのか。

 それは衝撃的な内容だった。

 しかしよくよく考えてみれば、確かに、病気を治してもらって心から感謝している人も、それによって人間性が変わったわけではない。
 人が同じ過ちを繰り返すのも、その表れなのだ。

 私自身、神様の恵みを受けているが、性格や生き方、人生に対する心構えなどが大きく変わったということはない。

 須佐之男大神の言っていることが分かるような気がした。

 須佐之男大神は姉を統一教会へ導き、そして私にもその道を行ってほしいと思っている。

 その理由がはっきりと分かったわけではなかったが、神が行けと言えば、行かざるを得ないのが信仰の道であることは分かっていた。

 「分かりました。須佐之男大神さんがそのように言われるのなら、私もそこに行きます」

 その時、私は姉と同じ道に進むことを心に決めたのだ。

(続く)

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 次回は、「妻を伝道する」をお届けします。