2022.02.12 17:00
夫婦愛を育む 179
閉塞感と負債感
ナビゲーター:橘 幸世
「あ~、もう俺おかしくなりそう」
普段無口な生徒がそう言いながら教室に入ってきました。
いつもの彼と違うので何事かと尋ねてみると、どうやらコロナ禍で休校となり丸一日家に一人でいることがこたえているようです(塾は休みになりませんでした)。
彼にしては(?)よく言った、と思います。吐き出すって大切ですから。
その後気分転換をしたそうで、学校再開もあって、翌週には少し元気になっていました。
昨年11月ごろは感染が下火になって多少なりとも解放感を感じていただけに、再びの自粛要請やピークアウトがなかなか見えない現状が、気付かないうちに精神的負荷となっている人も少なくないかもしれません。
かく言う私もここ2年、「力は授受作用によって生ずる」という『原理講論』の言葉が浮かんだり、「生力要素が少ないなぁ」と感じたりすることがあります。実体で人と交わる喜びを味わう機会が持ちづらい状況が続いていますので。
コロナ禍でも変わらず、あるいは一層多忙な人がいる半面、自由になる時間がそれなりにある私の場合は、人との接触を控える分(体力の無さも相まって)生産的な行動が十分にできていません。そんな自分に負債を覚えがちで、精神的にさらなるマイナス要因です。
何とも言えない空気を振り払おうと、エジプトで牢に入れられたヨセフを思ってみたり、祈祷や訓読をしたりする中で、真のお父様(文鮮明総裁)のこんなみ言に出合いました。
世の中でこの上なく貴いものは何でしょうか。…天地間において最も貴いものは何かというとき、それは正に自分自身です。ところが、自分自身が貴いことを、何をもって保障するのかというとき、答えることができないのです。…
…私が宇宙の中で一つしかない宝となり、本当の宝になったとすれば、その宝は神様も慕い、来ては逝かれたイエス様も慕い、…。…今まではそのような宝が自分だということを知らなかったのです。(1966年11月6日、『世界経典Ⅱ』159ページ)
もちろん、“本当の宝”になるだけの努力をしてこそ、ですし、内容を理解しきれていない中ではありますが、秘かに自分にダメ出ししていた私を、神様が肯定的に励ましてくださっているように感じました。
加えてその日、昨年一度しか会っていない友人が突然訪ねてきて、手料理をたくさん置いて風のように去っていきました(仕事に行く途中に寄ってくれたそうです)。
驚き、とても感動しました。たまたま一緒にいた主人の母も然り。やっぱり「ご飯は愛」ですね。
天と地、両方からケアしてもらっていると実感。今年に入り一歩踏み出したいと思っていた矢先の第6波到来でしたが、前向きに行きたいと思います。
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