私の心の中にいる神様 105
愛は寛容である

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 毎週土曜日に配信予定です。

愛は寛容である

(男性 50代)

 私には子供が4人いて、小さい頃から、「二世はかくあるべき」という観点から厳しく育ててきました。

 安侍日に遅れるなど、子供が少しでも間違ったことをすると容赦なく糾弾し、「ごはん抜き」など厳しく対処していましたから、家の中はいつも緊張状態でした。

 そんな私が自己牧会プログラムに出合い、「自分が正しいと思うことが固定観念となって、周辺を否定するようになる」と聞いて、衝撃を受けたのです。

 これは自分に必要な内容だと思い、少しずつワークに取り組むようになりました。
 おかげで、妻に言わせると、私は「少し穏やかになった」そうです。

 ところが最近、高校生の次女が安侍日を守ることができなかったので、久しぶりに厳しく叱ってしまいました。
 すると次の礼拝の説教で、教会長が「コリント人への第一の手紙」の一節を引用されました。

 「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」(13章4〜7節)

 そして教会長から、「『愛』のところに、自分の名前を入れてみてください」という投げかけがありました。

 「○○(私の名前)は寛容であり、○○は情深い……」

 これを唱えながら、全くもって「愛」にふさわしくない歩みだったと、下を向くしかありませんでした。
 説教を通して、神様が私に伝えてくださったのだと思いました。

 自己牧会プログラムのワークの実践を通して、「許し、愛し、一つになる」という道を教えられていることに感謝します。
 心身一体の境地を目指して歩んでいきたいと思います。

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 次回は、「捜し物が輝いてそこにあった」をお届けします。


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