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中和新聞セレクト Vol.3
生活信仰のすすめ

 毎週2回(火、金)、さまざまなコンテンツを配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
 第3弾は「生活信仰のすすめ」(家庭カウンセラー:内田由喜氏)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
 同コンテンツは『中和新聞』2020年4月から連載中のシリーズです。

第6回 ために生きる実践

(中和新聞 2020年11月10日 通巻1308号より)

 本シリーズでは、信仰の基本的な在り方や実践について考えます。日々の生活を通して神様を感じる生活が大切です。今回は「ために生きる実践」について考えます。『祝福家庭』での連載を整理したものです。(文責・編集部)

[Ⅰ]ために生きること

①幸福は「ために生きる」人生から
 人生をどのように生きるべきでしょうか。

 私たちは幸福になるために生きています。神様の愛によって生まれているので、愛の道を探し、愛の目的地に行ってこそ幸福になれるのです。

 真の父母様は、「幸福は『ために生きる』人生を生きる時にこそ発見できる」と語られています。自分のために生きても幸せを感じることはできません。

 幸せになるためには、誰かのために、究極的には神様の愛のために生きることです。

 「幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。幸福は、『為に生きる』人生を生きる時にこそ発見できるのです」(『平和を愛する世界人として』〈光言社版〉370頁)

②日々の生活の中で実践
 私たちは毎日、さまざまな体験をしながら成長します。神様についても知識として知っていますが、神様の愛を生活の中で実感してこそ、自分のものとなります。神様のみ言について学び、その内容を実践することで、み言と一つになる実感を持つことができます。その結果、人格がつくられ、み言の実体となっていくのです。

 み言で学んだ内容を繰り返し実践して、心で神様の「知情意」に感応し、体で行動することで、神様と一体化し、体恤していきます。神様の喜びや悲しみを深く知ることで、神様と共に生きていくことができるようになると思います。

 たとえ苦しく、悲惨なことがあったとしても、神様の愛のためであることを知れば、それは悲惨でも苦しいことでもありません。

③家庭の中で育成される四大心情圏
 人はみな、誰かの子女として生まれました。そして、兄弟姉妹の関係を結びながら成長し、結婚して夫婦となり、さらに子女を生んで父母となるという過程を経ていきます。

 そのような人生において、「ために生きる」ことは、時として犠牲が伴います。家庭の中で、親は子女のためにさまざまな犠牲を払い、それを喜びとしながら、父母の役目を果たそうとします。兄弟姉妹がいる場合、兄(姉)として、あるいは弟(妹)として、互いに我慢せざるをえない状況も出てくるでしょう。

 そのような中でこそ「父母の愛」や「子女の愛」、「兄弟姉妹の愛」といった「四大心情圏」が育っていくのです。真の家庭を築くうえで絶対に必要な条件が、子女の心情圏、兄弟姉妹の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏です。それが家庭という枠組みの中で育まれます。神様の愛は家庭の中で体恤することができるのです。

 私たちは「神様に侍る生活」をしているように思っていますが、ややもすると形だけになってしまいがちです。神様に侍る生活とは、神様が私の心に入り、私と神様が共に生活することです。神様の心を感じ、神様と授受し、神様に指導されて神様の体になるとき、神人一体となります。侍る生活とは、神様の愛を家庭で育む現実的な歩みなのです。

 「神様は、妄想的で観念的な神様ではありません。抽象的な神様ではないのです。生活の中で主体性をもち、私たちが暮らしている生活の主人として、常に共にいるのです。侍られているだけではありません。愛を共有しながら共同生活をしている神様です」(天一国経典『天聖経』11・1・1・9)

[Ⅱ]み言が心に沁みる体験

 耳で聞いた言葉は流れ、やがて忘れ去られます。しかし、その内容を実感して涙し、心を痛めた体験は、私たちの心に沁(し)みて何年も残ります。

 「み言を頭だけで知らずに、心で知り、体で感じなさい」と、私たちは真の父母様から何度もご指導を受けました。そして、「神様に似る」ために生き、「ために生きる」ことで愛が育まれ、心が成長していくことを学びました。

 愛は本質的に「他者のため」に生きようとするときは大きくなりますが、「自分のため」に生きようとするときは、だんだん小さくなります。

 信仰は、私たちがみ言を学び、理解して信じるところから出発します。み言を繰り返し学びながら、心情的にその内容を受け止めることで成長していきます。

 私たちは、実践活動の意義や目的を知らされる前に、自ら率先して実践したくなるように導かれることがあります。

 み言の背後にある神様の心情を心から知るとき、自然に何か実践したい気持ちに導かれるのです。そして、み言を中心として生活できるように転換されていきます。幾度となく、神様の心情の世界に触れ、実感的に神様を知ることができるようになるのです。

[Ⅲ]家庭で神様と出会う時代

 天一国時代に入り、個人の救済を目指す段階から家庭で神様の愛と神霊とみ言を中心に信仰し、家庭で神様に出会い、礼拝する段階に入りました。神様の創造理想を、家庭において完成することを通して、地上天国実現を目指す時代が到来しているのです。

 実践の重要性を理解し、神様に「実践する力を与えてください」と祈りつつ、実践に励みましょう。神様に似た心が育てられる生活をし、神様に似る、「ために生きる実践」生活を継続したいものです。

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 次回は、「『十一条』について〈前〉」をお届けします。

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