孝情を育む 24
子女の問いに答えるということ

家庭教育部長 蝶野知徳

 『ムーンワールド』で連載中の蝶野知徳・家庭教育部長による子育てについてのエッセーを、Blessed Lifeでも隔週でお届けします!
 孝情を育む子女教育を考える上で、どんな思いで向き合えばいいのかを端的に分かりやすく解説します。

神様を知っている
その心に向かって話す
 子女の率直な質問に対し、即答するのは、簡単ではないと感じることがあるでしょう。幼い時分の質問というのは、裏がなく、純粋で、その時の心が切に求めるものなので、神様の話であれ、性の話であれ、ちゃんと向き合って適切に答えてあげることができれば、最高の教育になります。

 子女の立場から見れば、親に尋ねるということは、神様に尋ねていることに近いです。ですから、そこでしっかりと神様の代わりに答えてあげることが大切です。
 子供を、ただの子供と思わずに、大人と思って対せよ、つまり、子供の持つ価値に対して真剣に対せよということです。私たちの表現でいえば、“神様だと思え”ということです。

 子女のタイプによっては、疑問を内に秘めて表現しない子もいますが、よく注意して見ていると、何か話したがっている感じが分かる時があります。そんな時は、逆にこちらが降りて、どう思っているのかを尋ねてあげると、話してくれるようになります。
 幼い子女は、とにかく「知識」という面では、分からないことだらけです。しかし、本性で感じている「答え」のようなものが心の根っこにあるので、子女はその部分をはっきりさせたくて質問してきていることを知るべきです。

 純潔教育も信仰教育そのものであり、神様の願いを教えることですから、これらは切り離せるものではありません。常日頃から、神様の話をしてあげていると、純潔教育はさほど難しくないということになります。

 愛や血統や生殖器の話は全部、神様の話になるのです。私たちが、ふだん見て触れるすべての対象物は、自分がこれをどう扱うべきかという選択肢があるのではなく、神様がすでに、このようにお創りになっているので、こう扱うべきだと教えるのです。これらは理解というよりも、縦的な感性で受け入れていく選択の余地のない内容です。年齢が高くなると、知識や経験という邪魔が入るのですが、幼いうちは心で聞くので、そのまま本性の答えと合致しやすいのです。

 祝福子女は「神様」を完全に「心」で分かって生まれているので、神様の存在と、神様の愛の素晴らしさについて、堂々と伝えてあげるべきだということになります。神様を知っているその心に向かって話をする姿勢が大切であり、それが子女自身の価値を、教えてあげることになるのです。

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 次回は、「純潔教育は『尊さ』を伝えること」をお届けします。