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統一原理Q&A 17
磐石の水を飲んだ基台について

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「統一原理Q&A」を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。
 統一原理に対する著者の分かりやすい解説がコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。

白井康友・著

(光言社・刊『統一原理Q&A み言による神の心情の再発見』より)

Q:モーセはレビデムに宿営した時、磐石を打って水を出し、彼らに飲ませましたが、この時の「磐石の水を飲んだ基台」は、その後の摂理において、重要な役割を果たしていると聞きました。どのようなことを意味しているのでしょうか、詳しく説明してください。


A:かつて、イスラエル民族がレピデムに宿営した時、民は飲む水が無いと不平不満を述べたために、神はモーセに命ぜられてホレブ山の磐石を打たせ、水を出して彼らに飲ませられました(出エジプト記一七・六)。その後、アロンが不信仰で失敗した時も、この「磐石の水を飲んだ基台」の上で悔い改めた時に挽回することができたと説明されていますが、なぜそんなにも重要な基台であるのかを調べてみましょう。

 そのためには、まず石板と磐石の違いから考えてみると、石板は磐石から採れるので、石板と磐石は外的なものと内的なものとの関係をもっています。これを復帰摂理の観点から見てみると、石板には神より与えられた十戒が記録されているので、モーセの律法の中心であり、旧約聖書の中心となります。旧約時代のイスラエル民族は、この石板理想を信ずることによって、その時代の救いの圏内に入ることができたわけであり、石板は将来、来られるイエスに対する外的表示体でありました。それに対して磐石もコリント人への第一の手紙一○章四節にあるごとく、キリスト(イエス)の象徴ではあるが、石板よりも内的ですからイエスの内的表示体であり、さらには石板の根という点から見ると、イエスの根としての神をも象徴しています。

▲モーセ、岩から水を出す

 さて、それをモーセ路程に当てはめてみると、モーセは神の代理であり、神をも象徴する立場(出エジプト記四・一六)にあるので、磐石はモーセを象徴しているということができます。すると、モーセに仕え彼の身代わりとなって指導の使命を担ったアロンは、イエスの外的表示体としての立場にあり、ゆえに石板はアロンを象徴しています。それゆえ、モーセが留守の間にアロンが先頭に立って金の子牛(偶像)を造らせて(出エジプト記三二・四)不信仰に陥った時、アロンの信仰が壊れてしまったので、アロンを象徴する外的石板もモーセによって、山の下に投げつけられ壊されてしまいました(出エジプト記三二・一九)。しかしモーセに指摘されてアロンが「磐石の水を飲んだ基台」の上で(出エジプト記一七・六)心から悔い改めた時には蘇生することができ、アロンを象徴する石板も再び復帰することができました。

 なぜかというと、磐石は神をも象徴しているので、磐石から出た水を飲んだということは、神を受け入れた立場に立ち、最も深い所で神とつながる条件が立ち、神が摂理することのできる基台が築かれたということができます。それゆえ、磐石よりも外的、表面的な石板の失敗は、「磐石の水の基台」の上で蕩減条件を立てれば挽回することができるのです。ところが、モーセが磐石を二打したことは(民数記二○・一一)、キリストと神を象徴する最も根源的部分を打つという不信仰に陥ってしまったということであり、サタンが侵入できる罪の条件を成立させてしまったので、モーセが神の前にどんなに哀願しても、その失敗の行動は挽回することはできなかったのです。

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 次回は、「外的イスラエルはなぜ失敗したのか」をお届けします。