2021.12.19 22:00
統一原理Q&A 16
幕屋の意義と目的について
アプリで読む光言社書籍シリーズ、「統一原理Q&A」を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。
統一原理に対する著者の分かりやすい解説がコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。
白井康友・著
Q:シナイ山にてモーセは神から三大恩賜を受けましたが、その中でも、石板が入っている契約の箱を安置している幕屋が中心であると聞きました。この幕屋の意義や目的はどういうところにあるのでしょうか、詳しく説明してください。
A:まず幕屋の意義から考えてみましょう。(図を参照)幕屋は聖所と至聖所とからできており、聖所の中には香の祭壇と、供えのパンの机と、七枝の燭台があり、至聖所の中には契約の箱が安置されています。聖所は祭司が普通の献祭をする時に入り、至聖所は大祭司が年に一度だけ、特別の献祭をする時に入ります。これを原理的に見ると、聖所と至聖所は有形実体世界と無形実体世界を象徴し、またイエスの肉身と霊人体を象徴するので、イエスの象徴的表示体ということができます。もしイスラエル民族が幕屋を建てたとするならば、メシヤが象徴的に降臨されたことを意味しているのです。出エジプト二五章八節に記されているごとく、幕屋は神が民族の中に住むために造られ、また神がその民に会う所であったので「会見の幕屋」とも呼ばれています。
それでは神がなぜ幕屋を与えられたのか、その目的を考えてみましょう。
エジプトを出発したのちの民族の姿を見てみると、バアルゼポンやシンの荒野、レピデム等において、神に向かって叫び、モーセに向かって不平不満をつぶやき非難し、ついにはモーセを殺そうとするなど(出エジプト記一七・四)、不信仰の連続でした。このようにモーセを支える基台となるべき民族が不信仰の限りを尽すことは、モーセも人間ですから、いつ憤激のあまり不信の行動を取るかもしれないという心配が出てきました。民族の不信仰は取り戻すことができても、もし中心人物であるモーセが不信の行動で失敗してしまうならば、この路程のすべては崩れ、水泡に帰してしまうことになるのです。神は、たとえ人間が不信仰で失敗したとしても変わることのない不変の信仰の対象を与えようとされたのであり、それが石板の入っている契約の箱を安置した幕屋でした(出エジプト記二五・八)。
民族がすべて不信に陥ったとしても、モーセ一人だけでも残ってその幕屋を守るならば、その民族は蕩減条件を立てて幕屋を信奉するモーセを中心として、その基台の上に復帰することができ、さらにモーセまでが不信に陥ったとしても、その民族の中のある一人でも、モーセを代理して最後まで幕屋を信奉するならば、その人物を中心として、あたかもバトンのように信仰の対象である幕屋を継承しながら、摂理の目的を成就していくことができるのです。
しかし幕屋を与えられたということは、あくまでも民族が不信に陥ったので、やむを得ず救いの方便として神が与えてくださったもので、決して喜ぶべきものではありません。もし民族がモーセを絶対的に信奉したならば、モーセの家庭が幕屋の代理であり、そのモーセの家庭を中心に一体化していけば幕屋を造る必要はなく、そのままカナンに入って、メシヤの形象体としての神殿を建設するはずでありました。
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次回は、「磐石の水を飲んだ基台について」をお届けします。