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心情開拓
心霊を育てる生活原則(30)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

2 個人と教会の発展のために
(1970年6月26日)

▲李耀翰先生

元に戻すのに三倍の誠意を尽くす

 秘儀というものは、人を愛さなくてはならないのです。自分が分かったなら、「神と自分」とが分かったなら、人をどのように愛するかが問題なのです。そうすれば絶対危なくないのです。

 いくら指導者が自分より下の人でも、その指導者を養いながらでも、指導者にするのです。人を愛する、人を貴重に思う人は、いかなる人に対しても指導者として侍ることができるのです。そういうところが今まで、6000年間、困難な問題だったのです。私たちは、自分をよく原理的に解釈します。そのように、知らない人を伝道するよりも、まず因縁をもった私たち兄弟同士を見ていって、「原理」を聞いていったん決定すれば絶対に離さない、という教会の在り方になれば、サタンの讒訴(ざんそ)がないのです。

 一回教会を出れば、戻るのがそれほど難しくなるのは、この離れた人の責任が、私たち、残っている人にあるからです。全体が復興できないのです。この人を私たちは、結局失ったのです。なぜ失ったかといえば、その人を見る見方が間違ったとか、人の見方を知らなかったとかが原因なのです。

 それを知らなかったというのは、結局、自分たちが、自分を知らなかったのです。教会に一遍因縁を結んだというのは、天から送ってきた先祖のいい人だとか、何か歴史的な目的があって入っているのです。そういう人が離れたというと、残っている人が困るのです。

 この人がまた戻ってくるにはどうするかというと、この人が離れずにやらなければならなかったことを私たちがやれば、戻る可能性があるのです。その人と因縁を結んで、一緒に行けば、ある結果があったはずなのに、その人を失ってしまったのです。そのため、三倍私たちが誠意を尽くしてある成長をした場合には、代わりの人が来るか、その人が再び来るかするのです。結局、人を失えば、相当私たちが損をします。私たちには蕩減(とうげん)責任があるのだから。

 そうなってしまった時に、どういうふうに指導するかというと、親切に付き合います。離れたなら私たちは付き合わないという、その目的で付き合うのではないのです。そういう意識をもたずに、私たちが付き合ってある期間が過ぎると、その人が原理的に自分を悟るように、原理型を良くしなくてはならないのです。今離れても、「離れるな! 戻れ!」と言うのではなくて、「離れるのも神様のみ旨があるのだろう」と、こう認めながら、「天から蕩減期間があるか、あるいは使命があるか、意味があって離れたのでしょう」と、同じ復帰摂理の責任をもっているという観念をもって付き合うのです。

 それから自分の意見を発表させるのです。「原理的に私はこう思うのだが、あなたはどう思う」と言って、話をするのです。「あなたの存在する立場を原理的にそう思っているのか、私が見るときにはこう思うのだけれども」と話し合うのです。もう既に済んでしまったことは、認めてやらなくてはなりません。別の原因があってそうするのだから、それを認めてやりながら、これからの問題、この次の問題を取り扱ってやります。結局、それは責任者によるのです。

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 次回は、「責任者は医者」をお届けします。


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