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信仰と「哲学」89
希望の哲学(3)
まず足場(居場所)を固めよう

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 自分の「居場所」の確定をしましょう。
 それは勤めている会社での役職・役割分担の確定でも、住民票に記載する住所の確定でも、家庭内での立場としての祖父母、父母、子女の立場の確定でもありません。
 この存在界(天宙)での居場所です。何があっても変化しない居場所です。この確定を「足場を固める」という言葉で表しました。

 この地上に生を受け、成長していく過程があり、結婚して家族をつくり、そしてやがて死を迎えます。誰しもが大変な変化の過程を通過するわけですが、それでも変わらない「居場所」があるのです。それを確認するためにあるのが本体論・存在論と言えるのです。

 本体論とは、「哲学で、現象の根本にあるとされる本体、または存在するものすべてに共通で基本的な存在の様式や諸関係などを原理的に明らかにする学説。存在論」(現代日用新語辞典)とされています。

 この定義から、「本体」とは現象の根本にある存在のことであり、「第一原因」(原理講論)と言い換えることができる根源的な存在と言えます。
 聖書の中のみ言では、以下の文言が本体(神)を表す内容となっています。

 「神はモーセに言われた、わたしは有って有る者。また言われた、イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたがわたしをあなたがたのところへつかわされました』と」(出エジプト記 第3章14節)

 存在には、存在有らしめられている存在と存在有らしめている存在とがあり、後者が第一原因であり、本体であり神なのです。

 第一原因という言葉の持つ意味は重要です。全ての存在の究極的な原因存在であり、当然時間や空間の原因者です。それ故、第一原因は永遠(超時間)であり、無限(超空間)であり、必然的に唯一であり、絶対なのです。

 科学的にも第一原因を否定することはできません。それを神と名付けるわけですから、神の存在を否定することはできないのです。

 さて、ここで「神はいかなるおかたか」を問う前に、私は第一原因である神とどのように関わって存在しているのかを理解することが重要です。
 私はどこに、どのように存在しているのか。神はどこに、どのように存在しているのか。神と私、およびその他の存在者(被造世界)との関係を理解するのです。すなわち「居場所」を確定するとはこのような意味なのです。そのために本体論、存在論があるのです。