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新 堕落性の構造 3

 現代人に不幸を招来する「心のゆがみ」。そんな悩みの尽きないテーマをズバッと解説! 人間堕落の根源からその原因を究明している一冊です。毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

阿部 正寿・著

(光言社・刊『こう解ける! 人生問題~新 堕落性の構造』より)

1 見栄を張るということ

◉過分な欲望=身分不相応
 ところで、この見栄という、だれにでもある性格は、「統一原理」でいう堕落性本性のどの部分に当たるものなのでしょうか。それを調べてみましょう。

 見栄というのは、自分を実力以上に見せようとする心の作用です。これは堕落性本性の中の2番目の、自分の存在位置を離れたという堕落性の現れたものです。

 6000年前に人間始祖アダムとエバが蛇(実は天使)の誘惑によって堕落した時、その天使は、自分も人間のアダムとエバが神から愛されているように愛されたいという欲望を抱きました。これは、神から許されていなかった過分の欲望でした。

 過分の欲望とは何でしょうか。それは身分不相応ということです。実力以上ということと同じです。10万円の月給をもらっている人が、それ以上の生活を夢見て、借金をしてぜいたくな家を建てたり、立派な車を乗り回したりするのは見栄です。それはどこかに無理があるので、必ず破綻します。大学を出なかった親が、子供をいい大学に入れようと、頭の悪い子供に家庭教師をつけて、無理にムチ打ちながら叱咤(しった)激励するのも見栄の現れです。その結果大学に入っても、勉強もしなくなり、あげくの果てはゲバ棒を振り回し、社会の迷惑になったりするのです。

見栄を張れば失敗する
 先にも述べたように、過分の欲望が堕落の動機となったのですから、見栄を張っていると必ず、堕落(失敗)の道を転落していきます。若い派手好きな女性が収入以上の生活を望んで、お金持ちの2号さんになって転落の道を歩んだり、そういうことは私たちの生活の周辺によくある話です。

 人に良く思われたいという心はだれにでもあるもので、悪くはないのですが、自分の実力以上のことをして良く見せようとしても、人が果たして自分の計画どおりに見てくれるか、全く疑問です。

 第一、みなお互いに忙しいのですから、よほど関心がない限り、自分のことなど気にかけてくれる時間はほとんどないのです。自分が他人のことを、どれだけ関心をもって思っている時間があるかを考えてみれば、よく分かるはずです。そんな効果があるかないかも分からないことに、良く思われたいとしてエネルギーをスリ減らすなど、全くバカげた話です。それより、自分が人間としていかに生きるべきかとか、価値あることにもっと時間を使用すべきです。

 だから見栄を張る人間は、山の中にビルを建て、ネオンサインをつけているようなもので、だれが見てくれているか分からないことに努力しているようなものです。そんな無理は続きませんし、サタン(堕落した天使)がそれを見て自分の堕落した時と同じだと、私たちを堕落(破滅)のほうに引っ張っていくのです。

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 次回は、「まず責任を全うしよう」をお届けします。


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