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中和新聞セレクト Vol.2
真の父母様の平和思想~地球的危機克服の道

 統一運動の情報から国内外のニュース、各種講座に至るまで、さまざまなコンテンツを毎週2回(火、金)配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
 第2弾は「真の父母様の平和思想~地球的危機克服の道」(ナビゲーター:稲森一郎氏)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
 同コンテンツは『中和新聞』2015年10月~2017年5月に全14回で配信されたシリーズです。

第12回 南北統一はいかにして成されるべきか〈3〉

(中和新聞 2017年1月31日 通巻931号より)

 本シリーズでは、人類が直面する様々な地球的規模の問題にスポットを当てながら、その問題点の本質を解説するとともに、真の父母様(文鮮明先生・韓鶴子先生御夫妻)の平和思想に基づいて確かな方向性を提示します。今回は「南北統一はいかにして成されるべきか」(全3回)の3回目として、韓半島(朝鮮半島)の南北統一への課題と解決の道を取り上げます。

国家の生き残りをかける北朝鮮

■「核開発」と「ミサイル発射実験」の問題
 韓半島の南北の和解と統一を考える場合、どうしても避けられないのが、北朝鮮がこれまで実施してきた「核開発と核実験」および「ミサイル開発と発射実験」の問題です。

 その経緯を見ると、ミサイル開発については、70年代末から80年代にかけて、(旧)ソ連のスカッドミサイルを基にして、その改良型を開発し、1990年代から今に至るまで、ノドンやテポドン、ムスダンといったミサイルを次々に発射実験し、ミサイルの精度を高め、飛距離を伸ばすために実験を繰り返してきています。

 核開発については、1980年代に核関連施設の建設に取り組み、黒鉛炉開発を推進していることが、1984年に発覚しました。そして、米国の圧力により、1985年、北朝鮮はNPT(核拡散防止条約)に加盟しましたが、現在はNPTを離脱しています。

 核実験を行ったのは、2006年と2009年および2013年、そして2016年の1月と9月の5回です。

▲核開発とともにミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮が国際問題に(2016年)

■核保有国になることに唯一の答えを見いだす
 執拗(しつよう)に繰り返される核開発とミサイル発射実験ですが、なぜ北朝鮮はこれほどまで、「核保有国」の座を射止めることにこだわっているのでしょうか。

 明らかに言えることは、1990年代から現在に至るまで、北朝鮮がその体制を維持するために核保有国を目指してきたことです。

 その大きな理由として挙げられるのは、第1に、1990年9月、韓国がソ連と国交を樹立したことに続いて、1992年には中国とも国交を樹立したことです。それにより、それまで北朝鮮の後ろ盾であったソ連と中国が、韓国とも正式につきあうという状態が生まれたのです。

 このことは、北朝鮮にとって大変なショックでした。ソ連と中国に対する猜疑心、不信感で金日成主席(当時)の気持ちは激しい動揺を隠せなかったはずです。

 第2に、ソ連とその衛星国が次々に崩壊していったことです。1990年に入ってから、東欧諸国の崩壊が連鎖的に起きました。最後に、国際共産主義の総本山であるソ連が、1991年12月に共産主義国家としての幕を閉じました。この状況を見た金日成主席は焦りに焦ったことでしょう。

 国家としての生き残りをかけるには、ソ連も中国も当てにならない、核保有国になるしかないとの結論に、北朝鮮は唯一の答えを見いだしたわけです。

 核保有国同士は「核抑止力」を持っているので、敵国(北朝鮮の場合は米国)からの攻撃を受けないと言われます。核攻撃をすると、そのお返しに核攻撃を受けてしまうので、相手国の核によって攻撃されることはないというわけです。したがって、国家として金王朝(三代にわたる世襲制共産主義国家)の体制維持、生き残りを図ることができるという算段です。

 これはあくまでも理屈ですから、実際そうなるかならないかは「神のみぞ知る」ことです。

 ソ連崩壊の背景は、確かに米国との実際の核戦争ではなかったのですが、ソ連自体の内部からの様々な矛盾要因による自壊作用というべきものでした。“賞味期限”が切れて、共産主義体制を維持できなくなったのです。

■ブッシュは米朝会談の機会を逸する
 ソ連の崩壊、中国の改革開放、韓国の中国・ソ連との国交樹立、このような条件が90年代初頭に整った中で追い詰められ、孤立無援ともいうべき状況に陥った北朝鮮でした。

 その北朝鮮が、文鮮明先生ご夫妻の突然の訪問(1991年11月30日-12月7日)を受け入れた背景を探ると、一つの理由として、文先生に対して北朝鮮と米国の橋渡しの役割を期待したことが考えられます。

 金主席から見れば、仇敵である「国際勝共連合」総裁である文先生の訪問を受け入れるということは、当時、それほどまでに北朝鮮は、ソ連を崩壊に導いた米国の脅威の前に追い詰められていたことが分かります。

 結論的に言えば、当時、ブッシュ米大統領(父ブッシュ、第41代大統領)と金主席の会談によって、核開発を巡る問題の解決、南北統一への道筋などが検討されるという、千載一遇の機会が巡ってきていたと言えます。

 ブッシュがその気になれば、米朝会談を行うことができたはずです。そうなれば、米朝会談によって90年代には米国が主導する南北統一への明るい兆しが切り開かれる可能性が大いにあったと見なければなりません。

 結局、ブッシュは米朝会談を行うに至らず、悪いことに、イラク戦争の泥沼化がブッシュ父子二代の政権を揺るがしました。中東の大混乱に足を取られていく米国は、国力を衰退させる一方、台頭する中国の挑戦を受けていくという、現在の状況を招くことになりました。

 「『神はいない』とする真っ赤なうその思想は、神様が厳然として存在されることを示し得る真の思想だけが滅ぼすことができるのであり、偽りの上に立った共産主義思想は、その偽りが白日のもとに暴露されるとき、完全に砕かれてしまうのです」(『平和経』1154頁)

 このような文先生のみ言からすれば、条件の整った90年代初頭の米国(神を認める有神論国家)の決断こそが、韓半島の自由統一を進める鍵を握っていたと言えます。

 今後、韓半島の平和統一の好機が再び訪れることを期待してやみません。

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 次回は、「第2回『鮮鶴平和賞』受賞者〈1〉」をお届けします。

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