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【最終回】預言 35
巨人を持ち上げた巨人

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金辰明・著

(光言社・小説『預言』より)

35 巨人を持ち上げた巨人

 金日成(キム・イルソン)主席は巨漢だった。

 体格に比例するように動作も大きく、食欲も旺盛で、豪放、快活な性格だった。

 心の内ではどう思っているのか分からなかったが、他人に接する時は、相手の身分にかかわらず気さくに交わった。

 生涯、頂点にいながらそのような豪放磊落(らいらく)さを保ち続けていれば、誰も抗(あらが)えない独特なカリスマ性を持つようになるのは当然だった。

 万寿台(マンスデ)議事堂であんなことがあってからも、文(ムン)総裁に対する礼遇は一切変わらなかった。

 金剛山(クムガンサン)の観光には飛行機が、彼の故郷である定州(チョンジュ)を訪問する際にはヘリコプター2機が準備された。

 しかし、訪朝から5日経(た)っても、金主席は文総裁一行に対して、トップ会談を行うか否かの意向を示さなかった。

 訪問の全日程が終わりに近づき、ピーター・パクの焦りと不安が絶頂に達した頃になって、金主席はようやく、一行を興南(フンナム)の公館へ招待した。

 ピーター・パクはスケジュールが確定すると、随行警護担当の金浩(キムホ)に念を押した。

 「金室長、今回は絶対にあんな危険にさらすわけにはいきません」

 金浩はすぐにその意味を理解した。先日あれほど危険な目に遭ったのは、何といっても警護責任者であるお前に問題があったのではないかと、遠回しに叱責しているのだ。

 「しかし、なにぶん即興で行動される方ですから……」

 「だからこそ、あらかじめあなたからしっかりと申し上げておく必要があるのです。あなたの言葉なら、まだ聞く耳をお持ちですから」

 「やってみますが……」

 金浩は公館に向かう自動車の前座席に乗り込むと、後ろに座っている文総裁に声をかけた。

 「先生、今回は本当に約束していただかないと」

 「何をだ?」

 「また前回のように北の度肝を抜くような発言をなさったら、今度こそおしまいです。相手は党幹部ではなく金日成主席です。金主席は主体(チュチェ)思想一つで北朝鮮を数十年間統治してきたのに、先生が主体思想を否定してしまったら、我々が生き残る道はありません。もし金主席が見逃してくれたとしても、北の人民が一人残らず、棍棒(こんぼう)を手に押し寄せてきますよ。そうなったら誰にも止められません」

 「ハハ、分かった、分かった。ところで君に話したことがあったかな? ライサ女史のことなんだが」

 「いいえ、初耳です」

 横にいた韓(ハン)女史がうれしそうな声で言った。

 「私があの時、モスクワでイコンのネックレスをライサ女史にあげたのだけれど、それを首に掛けた写真を送ってきてくれたのよ」

 「えっ?」

 驚くべきことだった。

 いや、不可能と思われたことが実現したのだ。

 共産党書記長の妻であり、彼女自身もマルクス・レーニン主義の理論家だったライサが、イコンを首に掛けるとは。

 金日成主席は玄関に出て、文総裁一行の車が到着するのを待っていた。

 彼は文総裁が到着するや否や、満面の笑みを浮かべて歓迎の意を表し、二人は固く抱擁し合った。

 「文鮮明総裁、朝鮮民主主義人民共和国のすべての人民を代表して、文総裁の訪問を心から歓迎いたします」

 金主席は特有の親しみやすさで、文総裁を迎えた。

 「ありがとうございます。私はどうすれば北朝鮮を豊かにできるかを議論し、それを実践に移すために、この地に来ました」

 続いて、金日成主席に尹基福(ユン・ギボク)、金達玄(キム・ダルヒョン)を加えた北朝鮮側の三人と、文総裁、韓女史をはじめとする8人の訪問団がテーブルについた。

 既に尹基福や金達玄の顔面は蒼白(そうはく)だった。

 文総裁が前回同様の軽挙妄動に出た場合、自分たちの運命も終わることをよくよく知っている二人は、彼の一言一言にびくついていたが、幸いなことに、文総裁は非常に注意深く、真摯に金主席と対話した。

 「離散家族の平均年齢が上がって、多くの方が亡くなっています。金日成主席の英断で、彼らを近親者に会わせてあげることを何よりも優先すべきです」

 「分かりました」

 「同じ民族同士でなぜ核が必要だというのです? 核兵器の開発計画を今すぐに中止すべきです」

 「核開発はやりません。やめさせましょう」

 「南北頂上会談をすべきです」

 「やりましょう」

 二人の会談は滞りなく進んだ。

 「文総裁は本当に楽しい方ですね。こんな堅苦しいテーブルに座って話す必要はないでしょう。少し早いですが、食堂に行って話しましょう」

 午前11時を少し回って始まった食事の席では、白頭山(ペクトゥサン)で採れたクロマメノキの果実酒を傍らに置いて会話が弾んだ。

 食事を兼ねた長い会談が終わると、金主席は自ら、文総裁一行を見送った。

 特別に招待されて通路の両側に並んでいた咸興(ハムン)市民の代表は、金日成主席の姿を目にしただけで感動し、すすり泣いた。中には、声を張り上げて泣く者もいた。

 金日成主席はその一挙手一投足が伝説であり、信仰の対象だった。

 そしてまた、その横を平然と歩いている人物にも、人々は大きな関心を持たざるを得なかった。

 頭と顔が大きくて丸く、常にかすかな笑みをたたえているような、アメリカから来た韓国人。

 彼が誰なのか、何をしている人物なのかは分からなかったが、普通の人間とは違って、金日成主席の後ろについて行くのではなく、連れ立って真横を歩いているのだ。

 それは市民だけでなく、党や軍の幹部ですら初めて目にする光景だった。

 金日成主席は、かつてスターリンと兄弟のように過ごし、毛沢東とは友人で、周恩来や鄧小平を意のままにした人物だ。

 そのようなことから、中国の江沢民主席ですらむやみに対することのできない金日成主席のすぐ隣を、ものともせずに歩いている南の人間。

 人々は彼から目を離すことができなかった。

 半歩すらも下がることなく、金主席と並んで歩く文総裁を見て、護衛総局長は歯ぎしりした。

 「おい、なんであいつが首領様と並んで歩いているんだ! 3歩後ろを歩けと教えてやれ」

 激怒した総局長の指示は、無線を通して護衛軍官たちに伝わった。

 彼らもまた、文総裁が堂々と、親なる首領と並んで歩いているのをひどく不満に思っていた。

 そこに総局長の指示が下りたため、護衛軍官の一人がすぐに、後ろから文総裁の服を引っ張った。

 「……」

 普通の人間なら、間違いなく後ろを振り返り、足を止めるはずだったが、文総裁は振り向くこともなく、そのまま歩き続けた。こうなると護衛軍官にできることはもう何もない。

 しかし、護衛総局長の指令は絶対的だった。やむなく今度は、護衛チーム長が文総裁の服をさらに強く引っ張った。

 まともな人間なら絶対に振り返らざるを得ない状況だった。しかし文総裁は、全く気づかないかのようにそのまま歩き続け、さらに突然、横に手を伸ばすと、金主席の手をしっかりと握った。

 「あっ!」

 護衛軍官、そして後ろを歩いていた尹基福、金達玄はもちろん、党幹部や咸興市民の代表もみな、腰を抜かした。

 護衛軍官の中には慌てて銃を握ろうとする者もいたほどだった。驚いたのは彼らだけではない。

 金日成主席本人も、全く予想していなかった文総裁の突発的な行動に、大いに戸惑った。

 手を握られたまま、どんな顔をすればいいのか。

 このまま歩けばいいのか、立ち止まって腹を立てるべきなのか、何をするのかと怒鳴りつけるべきなのか、笑いながら手を振りほどくべきなのか、どういうつもりかと問いただすべきなのか。……問いただすにしても、笑いながら尋ねるべきか、硬い口調で問うべきか、咎(とが)めるように言うべきか。

 ありとあらゆる考えが頭をよぎった。

 「あ、あ、あいつは頭がおかしいのか!」

 この光景を見ていた護衛総局長は、驚きのあまり失神しそうになり、指示を出すことさえも忘れて言葉を詰まらせた。

 「やっ!」

 文総裁は気合いとともに金日成主席の手を引き寄せたかと思うと、空に向かって高々と突き上げた。

 「ハハハハ! ハハハハハ!」

 金主席は声高に笑った。笑うほかなかったのだ。

 「ハハハハハ!」

 文総裁もまた、大きな笑い声を上げた。

 二人は立ち止まって向かい合い、しばらくの間、笑い合った。

 「スターリン、毛沢東……。多くの人間を見てきたが、あなたのような人は初めてだよ」

 金日成主席の口調からは、格式ばった硬さが完全に消えていた。

 「兄さん、共産主義では南北統一はできません」

 「そうだな、これからはお互いを兄、弟と呼んで、ずっと仲良く過ごすというのはどうだ? 人としては文総裁のほうがずっと上だが、年は私が上だから、あなたを弟と呼んでもかまわないだろう?」

 「もちろんですとも」

 二人は顔を見合わせたまま、青い空に向かって握り合った手を高く上げ、何度も万歳を叫んだ。

 「弟がせっかく来てくれたんだ。10日ほどゆっくり休んでいったらどうだ? 白頭山にも一度登ってみないと」

 「そうしたいのは山々ですが、アメリカで私を待っている二人と約束があるのです」

 「ハハ、特別な人のようだな」

 韓女史が文総裁の代わりに、ほほ笑みを浮かべて答えた。

 「そうなんです。実の子同然です」

 「ハハハ。韓半島から共産主義を追い出してくれと、随分頼まれましてね。急いで帰って、この素晴らしい結果を報告してやらないと」

 「ハハハハハ」

 文総裁の言葉に金主席は豪快な笑いで応えたが、その笑いはどこか悲しげに響いた。

 「私が死んだ後は、弟のあなたが息子の正日(ジョンイル)をしっかり助けてやってくれ」

 金日成主席の声は、心なしか寂しそうに聞こえた。

 金主席との会談を終えて平壌(ピョンヤン)を離れる文総裁の表情もまた、思うところがあるのか、憂いを帯びているように見えた。

 順安(スナン)空港で文総裁と韓女史を見送る尹基福と金達玄は、まるで死の淵から生還したかのように生き生きとしていて、その表情には安堵(あんど)の色が広がっていた。

 文総裁が飛行機に乗り込む直前、彼らは心の奥にしまい込んでいた質問を吐き出した。

 「文総裁、統一はいつ頃になりますか?」

 文総裁はそわそわする彼らの顔をしばらく見つめていたが、やがて物悲しそうな声で、独り言のようにつぶやいた。

 「兄さんがもう少し長生きしてくれれば、すぐにでも統一の日は訪れるというのに……。残念だが、しばらく待たなければならないだろう」

 「え? いつまで待てばいいのですか?」

 「2025年!」

〈了〉

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 「小説『預言』」は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。


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