2021.10.13 17:00
日本を愛した文先生の足跡(15)
松濤
8月24日に迎えた文鮮明総裁聖和9周年を記念して、「日本を愛した文先生の足跡」(全15回)を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。
南平台から松濤へ
本部教会が渋谷区南平台から松濤に移転されたのは、1965年8月23日でした。以後、70年代にかけて、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生はたびたび日本を訪問され、松濤の本部教会に足を運ばれました。
初めて訪問されたのは、65年9月29日のことです。南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、東南アジア、香港、中華民国など世界を巡回された後、日本に立ち寄られたのです。
本部教会の礼拝堂では「世界路程御帰還歓迎式典」が行われ、文先生は「人類愛に燃えたたしめ、いかなるところにも我が身を犠牲にして我は行く、そういう人が、そういう動きが必要な世界を切々と感じました」と語られました。
その後も聖日礼拝や和動会で多くのみ言を語られています。
文先生から日本の教会員たちに手紙
67年6月12日には、初めて文先生ご夫妻そろっての来日となりました。6月17日から30日までは、教理解説書『原理講論』に基づく原理大修練会が開かれ、全国から105人が参加しました。文先生は開講式で講義に臨む姿勢を話され、講義の途中や後にも、さまざまなみ言を語られました。続いて7月3日から6日にかけては第2次原理修練会が行われました。
69年、文先生ご夫妻は、第2次世界巡回路程において、欧米で21組の祝福をされた後、4月18日に来日され、5月1日に本部教会で22組の祝福をされました。
世界路程に同行した久保木修己会長(当時)は、「アメリカを出発する朝のあわただしい時でありました。…先生はお部屋から出て来られて、『今朝は神川村の兄弟からたくさんの手紙があったよ。先生、読むのに3時間かかっちゃった』と目を真っ赤にしておられるのを見たのであります」と述べています。
巡回路程中、文先生は日本からの手紙を読むばかりでなく、時間をみつけては日本の教会員に手紙を書かれたのでした。
また文先生は73年11月23日、岸信介(のぶすけ)元首相と会見され、長時間にわたり、意見の交換をされました。
(参考/『日本統一運動史』)
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「日本を愛した文先生の足跡」は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。