2021.10.04 17:00
信仰と「哲学」84
コロナ禍世界の哲学(8)
ウェーバーの倫理資本主義
神保 房雄
「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。
資本主義に関するマックス・ウェーバーの考え方を紹介します。
マルクス・ガブリエル氏は今、倫理資本主義への転換が必要と主張していますが、かつて倫理と資本主義との関係について述べた歴史的な本があります。
それが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904~1905年に著された論文)です。著したのはマックス・ウェーバー(Max Weber、1864~1920)。彼はドイツの政治学者、経済学者、社会学者でした。
プロテスタンティズムとは、ここではカルヴァン派の倫理観を指します。
資本主義の精神とは、利潤追求の精神です。プロテスタンティズムが資本主義を生み出したわけではないのですが、資本主義のシステムを倫理的に支えてきたとし、その理由は合理的禁欲にあるというのです。
禁欲と資本主義は対置されがちですが、決してそうではないといいます。
資本主義の発達には「合理的禁欲」が必要であり、それがカルヴィニズムの特徴的な教えである「予定説」と密接に関わっていたというのです。
予定説は、現世に生を受ける以前にすでに神によって誰が救われ、誰が救われないかがあらかじめ定められているとするものです。
人間の意志や努力で変更することはできない、教会によっても、祈りによっても変えることはできない事実とみなされました。
この教説がもたらしたことは、「自分は本当に救われているのだろうか?」という大きな不安でした。その結果、自分にとっての天職(職業労働)を通じて「救いの確信」を求めることになったのです。
人間は神によって自らの意志を実現せんと地上へ送られた存在であり、労働は神の栄光を増すために最適な営みだと考えられました。すなわち信徒にとって、天職による労働は神の意志を実現するための手段に他ならなかったのです。
その結果、カルヴァン派の信徒は自ら生活に計画性と組織性を取り入れ、生活を禁欲的なものとして、これを徹底的に合理化することに集中しました。
このような天職の観念からもたらされた合理性が資本主義の企業の形態にうまく適合したというのです。
次に、このような倫理性が資本主義経済とどのような関係をもたらしたのでしょうか。
それは労働から得られる財産(資本)に対する態度に表れました。
信徒が労働を行ったのは、豊かな生活を送るためではなく、あくまで神の意志を実現するためでした。
そのために彼らは、財産の利用をできるだけ節約すると同時に、財産を得ることは悪とする考え方を打ち破り、財産の獲得を新たな観点から積極的に肯定したのです。そしてたまった財産は神の意志を一層実現させようと、財産を資本として投下するように促したというのです。
ウェーバーの学説は、コロナ禍世界において倫理的資本主義への転換の可能性を示唆するものと言えるでしょう。