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信仰と「哲学」83
コロナ禍世界の哲学(7)
倫理資本主義の提言

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 マルクス・ガブリエル氏のコロナ禍世界の分析と提言を紹介します。
 インタビュー形式でマルクス氏の「哲学」が記されている『つながり過ぎた世界の先に』(PHP新書)の内容を踏まえて述べてみます。

 新型コロナウイルス(COVID-19)パンデミックによって、「おそらく人類史上初めて、世界中で人間の行動の完全な同期化が見られました。すべての人間が(略)基本的に同じ行動をとった」(20ページ)とマルクス氏は指摘します。

 これまでも感染症の拡大が世界を変化させた出来事はありましたが、これほどまでに「世界中で人間の行動の完全な同期化」がなされたことはありませんでした。「人類史上初めて」の出来事であるとの理解が必要だというのです。

 そして「私は『危機は倫理的進歩をもたらす』と考えています」と述べ、コロナ禍の世界で必要なのは、人間が「倫理的」になることであるというのです。
 斎藤幸平氏(『人新世の「資本論」』の著者)らが主張する、利潤追求を目指す資本主義の仕組みそのものの転換ではなく、必要なのは倫理的な資本主義=「倫理資本主義」への転換だというのです。

 倫理的理由による人間の行動について、次のように説明しています。
 「何かをする倫理的理由とは、人間であるがゆえに存在する理由のことです。誰かが赤ん坊を階段の上から投げて殺そうとしたとする。そうしたら誰もが『それは非倫理的だ! やめろ!』というでしょう。それはなぜか? 人間として、他の人間にしてはいけないことだからです。これが倫理です」(33ページ)

 そして、「倫理とは、文化圏によって異なることのない、普遍的な価値のことです。倫理は人類を結び付けるものなのです」(同上)とし、「倫理資本主義への転換」が必要であると繰り返します。そして、資本主義社会に対するマルクス主義的分析、見解を批判していきます。

 「世間では、倫理的に正しい行動をとることは自己の利益にならないという認識が広まっています。つまり利他的な行動のみが倫理的行動だという考えですが、これは非常に有害な考えで、否定する必要があります。倫理的行動が自分の利益に反するとしたら、なぜ倫理的に行動しなくてはならないのか、と人は考えるでしょう。
 この考えを突き詰めると、経済と倫理は相反するものであるという結論に達しますが、それはマルクス主義的な誤解です」(35ページ)

 マルクス主義者は、資本主義は利己的な利潤追求を貫徹するので、本質的に倫理を攻撃し、破壊するものであると批判してきました。それは誤解、間違った分析であるというのです。

 マルクス・ガブリエル氏は、「資本主義のインフラ、つまり市場インフラを使って、倫理的に正しいこと―例えば失業者を雇用したり、環境保全を行ったり―もできる」(36ページ)と述べ、倫理的価値と経済的価値は全く同じであると考えることを提唱していくのです。

 経済的に良いことと倫理的に良いことに大きな違いはなく、「倫理的に正しい行動をとった結果、お金が儲かるような経済体制をつくればよいのではないでしょうか」(37ページ)と強調します。

 マルクス・ガブリエル氏、共産主義者の資本主義社会分析の間違いを明確に指摘しています。