2021.09.24 12:00
日本統一運動史 52
日本に真の御父母様を迎える準備時代㊱
全国的規模での統一教会の最初の決断式
『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』を再配信します。
創立40周年の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。
歴史編纂委員会・編著
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代
四、草創期における飛躍的発展
(3)全国的規模での統一教会の最初の決断式(1963.6.18)
6月18日、全国の教会員が初めて東京の銀座ガスホールに集まり、決断式が行われました。ゲストとして笹川良一先生を迎え、立正佼成会吹奏楽団の伴奏で聖歌の合唱がなされました。この時は、地方でわずかな人数で闘ってきたメンバーが初めて一堂に会したときでした。
(4)世田谷区の北沢に本部教会を移転(1963.10.28)
1963年10月28日、本部教会が東北沢の立体文化センターから世田谷区北沢1の1200番地(64年1月に町名表示変更、代沢5−17−7)に移転しました。当時は「下北沢」と呼んでいました。
1. 梶栗玄太郎氏の証し
「桜井夫人から講義を受け、終末論で再臨主という文字を見て、我人生に悔いなしと入教を決意したという。メシヤ論では、人間の弱さに泣き、12弟子の弱さに悔し泣きした。今、自分も同じ時代にいると気づき、しっかりしなくてはならないと自分に言い聞かせ、その夜、初めて下北沢教会に泊まってお祈りした。翌日、体中に熱いものが強烈に通り抜け、清められたような感じがしたとき、そのまま霊通して霊眼が開け、この世の醜悪な人間の姿を見せられた。…『このまま放っておいては皆が地獄へ落ちる以外にない。この原理によって人間の魂を救うこと以上の大きい仕事はない』と、何の躊躇もなく職場を捨て、1963年の暮れも押し迫ったころ、戸田修練所に駆けつけた」(『成約の鐘』1973年6月号より)
◇梶栗氏を伝道した前川浩子さんの証し
「会社(前田建設)の上司で、将来を嘱望された人でしたから、むしろ私を心配して、ある時『宗教で会社やめるんだって? そんなに虚しいの?』と語りかけてきたので、事情を説明したら、自分から教会へ来た人です。」(『成約の鐘』1973年6月号より)
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次回は、「日本に真の御父母様を迎える準備時代㊲」をお届けします。