2021.09.05 13:00
信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(17)
家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。
金元弼・著
第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々
よく話を聞かれる先生
私は、先生にお会いして以来、たくさんの霊能者たちがつまずくのを見ました。いろいろな所から霊能者が来たり、あるいは霊能者でなくても、新しい人たちが入ってきたりすると、先生は丁寧に迎え入れて、もてなされます。そして、その人の話を、全部聞いてあげられるのです。夜遅くなってもかまいません。全部御存じの話であっても、聞き入れてくださいます。また、その人たちが神の前に心を尽くした善の実績、功績を、先生は大事にしてあげました。たとえそういう実績をもっていない人であっても、先祖が尽くした実績、功績を認めてくださいました。それさえもない人でも、神が長年の間、その人を導くために尽くした神の心情がその人に残っている、そういう神の心情を受け入れてくださったのです。
こういう人たちが入ってくると、先生は必ずよくもてなし、お金がない人にはお金をあげ、着物がない人には着物をあげたりして助けてあげました。このように先生は、相手の人をよく理解してあげました。神がその人に対する以上に、先生は待遇してあげられました。
授受作用の原理によって、このようにしてあげると、逆に今度は、相手のほうが先生のことを分かってあげなければならない段階に入ります。しかし、このようにしてあげたにもかかわらず返さないときには、神はその人のすべての祝福を奪って取り出し、こちらのほうに全部あげるのです。つまり、自分の今までの功績を全部置いて、自分は空になって帰っていくことになるのです。ですから神が、ない者から奪い取って、持てる者にもっとあげるというのは、全部そこに起因するのです。
どういう人を通じて、神は私に啓示するか分からないのですから、霊能者がしくじり、つまずいたようなことが、私たちにないよう注意しなければいけないと思うのです。ですから皆さんも、霊能者が失敗したようなことにならないよう、幼い人の口から出る言葉であっても慎重に受け止め、先生のように、神が私に何か啓示をしているのではないかと、そのようなメンバーに対する謙虚な心が必要だと思います。
サウルとダビデのお話は分かりますか。第一代の王様であったサウルは、聖書を見ればよく分かりますが、サムエルによって油を注がれて王になった人でした。ところが彼は、神のお告げを守りませんでした。その時に、神の心はサウルからダビデに移りました。ダビデはサウルの部下として大変よく従い、忠義を尽くしていました。神の手が自分からダビデに移ったことがサウルには分かりました。そこでサウルは、何回もダビデを殺そうとしたのです。ダビデは逃げ出して、大きなほら穴の中に身を隠しました。サウルはもう主君ではなく、敵のようになりました。
ところが、サウルはそこまで追い掛けてきました。ちょうどその時、彼は足を覆うために、そのほら穴の中に入ったのです。ダビデはその時、刀でサウルの着物のすそを切り取りました。サウルはそれに気づきませんでした。サウルは立って、ほら穴を去り、道を進みました。
ダビデもほら穴を出て、サウルの後ろから呼ばわって、「なぜ追い掛けてきて殺そうとするのか」と、サウルの上着のすそを見せます。そこでサウルは、非常に深い悔い改めの心をもちました。なぜならば、「私を殺すいい機会であったのに、お前はなぜ殺さなかったのか、お前を殺そうとする私をなぜ殺さなかったのか」と思ったのです。ダビデは、「神が油を注いだその方を、どうして私が殺すことができるでしょうか」と答えました。
私たちも、神が祝福された人を大事にする、そういう心掛けが必要です。ですから、足らない私たちですけれども、非常に大切にしてくださる先生の心掛けが分かると思います。だからこそ、そのようなお方がいらっしゃるならば、すべての人は、いつまでもいつまでも、そういう人のところにいたいと思うのです。その人の主管を受けたいと思うのです。
皆さんは、主管されるのは嫌だという考えをもっているかもしれませんが、自分のために本当に尽くしてくれた人には、主管されたいのが人間の本性です。そういう人に主管されることを願うのです。絶対的に主管されればされるほど、自分は平和になり、また幸せになるからです。今までは、そういう人がいなかったために、主管されるのが嫌だったのです。
先生は、御自分だけが語られるのではなく、常にメンバーたちの証しをお聞きになりました。20人の証しを聞いたなら、たくさん学ぶことができます。先生は、結論を出されません。メンバーたちの証しによって、結論を出させるのです。先生が「原理」を語られますと、それを聞いた人は、み言が正しいということを、自分の霊体験を通じて、霊界を通じて、証しを通じて裏づけられるのです。ですから、証しをする人たちは、ちょうど「原理」を証明するような役割をしていました。
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次回は、「自分のこととして話を聞く」をお届けします。