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心のあり方 34
人を幸福にする意志

 もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
 「文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第九章 意志さえあればできないことはない

人を幸福にする意志

 文鮮明先生の意志は、自分の能力を発揮して成功したスポーツ選手や経営者たちとは一種異なるようです。
 文鮮明先生の意志は、「人を幸せにする」という心なのです。
 文鮮明先生は、少年の頃から並外れた自然観察力がありました。そのため、科学者になろうという志もあったようです。しかし、それを断念しました。それは、あまりにも、不幸で苦しむ人々を思いやったからです。

 「私は人々の流れる涙をぬぐい、心の底に積もった悲しみを吹き払う人になりたかったのです。……人々に幸福をもたらす者になろうという心だけは固まっていきました」(自叙伝58ページ)

 十五歳のときに、イエス様と出会って、その志は天命となりました。イエス様は、「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。……苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばせてさしあげなさい」と命じられたのです。

 あまりにも大きな天命です。自分と家族を救うだけでも大変なことです。文鮮明先生の青少年時代、朝鮮半島は日本の統治下にありましたから、民族を救うことだけでも至難の業だったのです。しかし、イエス様は、「人類を救って、神様を喜ばせてさしあげなさい」と言われたのです。

 人類の中には怨讐(おんしゅう)であった日本人も入ります。この大きな困難を伴う天命を文鮮明先生は、イエス様の悲しい顔が胸に刻まれたがゆえに決意されたといいます。

 最初に文鮮明先生が取り組んだのは、「幸福の原理」を解明することでした。人類を救うためには、不幸の根本を突き止め、永遠の救いの道を解明しなければなりません。幸福の原理とは、誰でも実践すれば、幸福になれる法則です。

 科学者や哲学者が、その分野の原理を解明するためには、思索に没頭できる研究室などの環境が必要です。多くの発見は、大学教授として研究している過程でなされています。当然、生活の安定も不可欠です。生活に追われていては、研究に集中できないからです。また、多くの支援者も必要です。

 しかし、文鮮明先生には、真理を探究するための研究室もなければ安定的な収入も一切なく、支援者もいませんでした。施設もお金もなく、支援者もいなかったのです。むしろ、迫害する人のほうが多かったのです。

 1950年代、朝鮮戦争のさなか、北朝鮮から脱出した文鮮明先生は釜山(プサン)で「統一原理」をまとめ始めました。環境は最悪です。その当時のことを、自叙伝で触れられています。

 「釜山の地は避難民でごった返していました。朝鮮八道の人が全部集まったかと思えるほどで、人が生活できる所は軒先までぎっしりと詰まっていて、お尻一つ入り込める隙間も残っていませんでした。仕方なく、夜は林の中に入って木の上で眠り、昼になるとご飯を求めて市内に下りていきました」(自叙伝122ページ)

 このような過酷な環境の中で、人類を救う『原理原本』を執筆されたのです。

 「その頃、草梁の労務者用の宿舎に入ることができました。部屋が呆れるほど小さくて、対角線で横になっても壁に足が当たります。その後、知り合いの家に泊めてもらい、その部屋で鉛筆を削り、心を尽くして『原理原本』の草稿を書きました。極貧の生活だろうと何の問題もありませんでした。たとえゴミの山の中で暮らしたとしても、意志さえあればできないことはないのです」(自叙伝124125ページ)

 文鮮明先生は、神様と人類を愛する意志で幸福の原理を体系化されたのです。文鮮明先生の「意志」は、神様と人類を愛する、真の愛のほとばしりだったのです。真の愛の実践力だったのです。自分の欲望を満たそうとする意志ではなく、人類を幸福にしようとする真の愛そのものだったのです。

 「真の意志」には次の三つの心がありません。

 “できない”という心。

 “諦(あきら)める”という心。

 “何かのせいにする”心。

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 次回は、「ハングル創製『世宗(セヂョン)』」をお届けします。


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