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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(13)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々

▲金元弼先生

家庭と教会からの迫害

 先生を訪ねてくる人々は、教会でも、家庭においても、また周りの人々からも、大変尊敬されていた人たちでした。ある人は、直接神の啓示を受けて先生のことが分かった人もあれば、先生のみ言を聞くことによって先生のことを本当に分かった人もいました。こうした人たちは、先生と生活をしているうちに、先生に対する信仰が、日がたつにつれて、どんどん深く強くなりました。

 いくら啓示を受けるといっても、毎日受けるのではありません。また、疑いがないというのでもありませんでした。疑いがあるときには、他の人の啓示を通して刺激されます。ですから疑いがあれば、その人の行動の一つ一つがふさがれてしまうのを感じるのでした。また聖書を読んで、疑いをもっている、その自分の状態を見つけることもありました。疑いをもつと、再び啓示があります。

 こうしたことの連続の中で、信仰は篤く、深くなり始めました。み言を聞いて、真理を通して先生のことをよく分かった人でも、時には人と話をしたあとに、自分の受けているみ言に対する疑いをもつことがあります。そういう時は、気落ちすることもありましたが、み言を聞けば復活し、先生に対する信仰は、一層深く、強くなるのです。

 真理によって霊的価値をよく悟った人であっても、外部からいろいろな迫害を受けると、上がり下がりがあったのです。そういう連続の中でも、神が直接守ってくださるがゆえに、私たちの信仰は非常に燃え上がっていきました。恵みの中にいる時は良かったのですが、恵みを人に与える段階になると、人々は素直に受け入れてくれません。そういう時は、先生にお尋ねして、アドバイスを受けなければなりませんでした。

 反対された理由の一つは、神の啓示の意味はよく分かっているのですが、霊能者たちは、聖書を通して十分説明できなかったからです。もう一つは、初期の人たちの伝道は、結果をまず先に立てて、特に「再臨主が来ています」というようなかたちで行ったのでした。それで、大変な迫害に遭ったのです。こうして伝道していた人たちは、非常に信仰が篤かったので、家庭においても、教会においても、他の人の模範となっていた人たちでした。この人たちがみ言の恵みにあずかると、元の教会にも、家にも帰らず、教会にとどまってみ言を聞き、信仰の交わりをもつ時間が多くなっていきました。

 一つの例を挙げると、結婚して間もない家庭がありました。夫に対してよく世話をする、仲の良い夫婦でした。また、熱心なキリスト教の家庭でもありました。奥さんがみ言に接すると、夫の夕食の時間になっても、以前のようには準備ができませんでした。既成教会にいる時には本当によくやってくれたのに、うわさで若い先生が牧会をするという教会へ行くようになってからは、以前のようには良くしてくれなくなったと、夫は気がつきました。そして、なぜだろうと疑いをもたざるを得ませんでした。また教会へ行くという理由で、夫と共にする時間をどんどん断っていきます。

 このことより、もっと理解できない一つの問題がありました。皆様は原理を聞いてよく理解していますから、その理由は何かということはよく御存じでしょう。彼女がみ言を受け入れて、先生がどれほどの方かを知り、そしてこの恵みの生活の中にあって、彼女自身に一つの大きな異変が起こっていました。今までは夫との関係は、この上ない幸せなものでした。けれども、夜になって夫と一緒に寝ていても、夫が近寄ってくると、蛇が近寄ってくるような嫌な感じがするというのです。誰が彼女に教えたのでもないのに、そのように感じられて仕方がないというのです。しかし、夫にはそれが理解できなかったのです。彼女も、なぜそんなに嫌になってくるのか理由が分かりませんでした。皆さんは、そのことが理解できますか。皆さんでしたら、なぜそうなるのか、その婦人や主人に説明ができるでしょうか。

 1946年ころのことですので、先生以外は、誰もそれに対して説明してあげられる者はいませんでした。しかし、啓示を受ける人は、原理的な説明はつかないけれども、なぜそういうことが起こるのかという簡単な説明はできました。

 若い夫婦だけに起こるのではなく、壮婦においても、たとえ60以上のおじいさん、おばあさんであっても、こういうことは共通して起こりました。家でのこうした話は、夫婦間のことですから、誰かに言うこともできない難しい問題でした。韓国の46年ころの社会では、そうしたことは言い出し難い問題でした。そこで、そうした婦人のだんなさんは、ほかのことで少し時間が遅れるとか、よくやってくれないということに対しては、まだ理解しようとするのですが、このことについては理解しにくかったのでした。

 彼らから見れば、先生は若くて非常にハンサムですから、自分の奥さんが教会へ行くことによって、先生のほうをより愛しているからこういう態度を取るのではないかと、疑いを強くし始めたのです。そして、家庭での迫害が始まりました。「教会には、これから出ないようにしなさい」ということになったのです。しかし、奥さんは、いつもいつも主人と一緒にいるのでもないのですから、そう言われても時間の合間を利用して先生の所を訪ねました。苦しい中で、どのように信仰をもち続けていったらいいのか、アドバイスを受けざるを得ませんでした。また食口に会うことで大変力づけられ、慰められるので、迫害されればされるほど教会を訪ねていくのでした。

 彼女たちの夫は、仕方なく奥さんの親を訪ねて、自分の妻に関する話を、すべて報告するのでした。韓国では、娘が他家へ嫁に行ってそこから追い出されると、再婚することは許されませんでした。そこで、その嫁入り先のだんなさんに、たとえ難しいことがあっても、我慢して幸せをつかむようにと教育していました。

 大変仲の良かった夫婦なのに、娘が教会へ行くことによって、夫婦の仲が悪くなり、家庭が破壊状態になっているのを聞くと、お父さんは、そのだんなさんに加勢するのです。そして娘に、教会へ行くのをやめさせようとしたのでした。今まで娘に手を上げたこともない親でしたけれども、自分の娘に手を上げるようになりました。しかしながら、その娘を引き止めることはできませんでした。なぜならば、その娘は統一教会と出会うことで、この上もない神の恵みを得ていたからです。また、真理が分かったという確信をもっていたからでした。

 お父さんは、教会の中心者である牧師を訪ねて、自分の娘のことを話さざるを得ませんでした。そうしたら、その牧師が若い先生を訪ねて、どれほど異端なのか、間違っているのかを目の前で証明して、娘さんを教会から離してくれるだろうと思ったからでした。ところが、牧師は、一人では先生と会って議論する自信がないと思ったのです。それで、平壌中のいろいろな教会の牧師と力を合わせて、先生を訪ねると決めたのでした。

 皆様、一人の婦人の例を取り上げましたけれども、教会に来ていた他の食口たちが属している既成教会の牧師たちも、全く同じような立場に立っていました。

 おじいさんが統一教会へ来ました。ところが、おばあさんとの間にさっきお話ししたようなことが起こったのでした。おばあさんは同じように疑ったのです。おじいさんのことを、どうしてそんなに疑うのか理由が分からないと考えると思います。先生は男であるから。そのおばあさんは、自分のおじいさんが教会に行くことによって変わったというのです。教会にはおばあさんも通っているし、中年の婦人もいます。おじいさんと同じような年のおばあさんもいるから、そうしたおばあさんと仲が良くなって、自分に近寄らなくなったと疑ったのでした。この家庭内で起きた疑いの話を聞いて、牧師は、「この教会は、大変間違った教会である」と決めつけたのでした。

 こうした人たちは、反対する夫や妻の話を裏づけるかのように、夜遅く帰ったり、時には泊まりがけで通ったりしていました。礼拝は、男と女が一緒になって行い、時には踊る人もいます。牧師たちは、こういう姿を見て、これは間違っていると考え始めたのです。

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 次回は、「聖主教と腹中教」をお届けします。


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