親育て子育て 11
お父さんも子供に読み聞かせをしよう

(APTF『真の家庭』181号[2013年11月]より)

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ジャーナリスト 石田 香

子供はなぜか「うんち」が大好き。うんちの絵本はお父さんの読み聞かせ向き

みんなうんちをする

 絵本の読み聞かせというとお母さんの独壇場のように思われがちですが、お父さんも子供に読み聞かせをしてみましょう。子供との付き合い方がよく分からないお父さんも、読み聞かせなら自然に入っていけます。特に「うんち」が出てくるような汚い話や幽霊などの怖い話は、イクメンの父親向きです。

 『みんなうんち』(作・絵・五味太郎、福音館書店)は、「いきものはたべるから、みんなうんちをするんだね」というお話。特にストーリーはありません。幼稚園児、とりわけ男児はなぜか「うんち」の話が大好きです。

 「大きいぞうは、大きいうんち。小さいねずみは、小さいうんち。さかなも、とりも、むしだってうんちします。いろんな動物が、いろんな形、いろんな色、いろんなにおいのうんちをします。いきものは食べるから、みんなうんちをするんだね」

 抑揚を付け、臨場感を持たせて読むと、子供は「イヤダ〜」と言ったり、大笑いしたりしながら聞きます。

 子供とそんな楽しい時を過ごせるのは、一生の中でほんの少しでしかありません。子供に自意識が芽生えてきて、うんちのことを話すのが恥ずかしいと思いだすと、一緒にはしゃいだりできなくなります。ですから、子供がまだ小さい間を大切にしてください。

 親にとって子供と接する時間は、自分の子供時代を思い返す時間でもあります。自分はこんな風に親に絵本を読んでもらえなかったという人も、その心残りを、子供への読み聞かせで回復することができます。子供を育てながら自分を育てる、読み聞かせにはそんな効用もあります。

日本人は「うんち愛好民族」

 牛や鶏のふんが堆肥として使われているように、人のうんちも窒素・リン酸を含んでいるので作物の肥料になります。もっとも、うんちを肥料として用いるのは、世界的には少なく、日本などごく一部です。つまり、日本人は「うんち愛好民族」なのです。

 江戸時代、100万人もが住んでいた江戸の街が清潔で、伝染病が少なかったのは、家庭のうんちを集めて舟で農村に運び、肥料に使う仕組みができていたからです。同じ時代のパリではトイレがなく、うんちはおまるにして、窓から外に投げ捨てていたので、道はうんちまみれでとても不潔でした。

 日本では、戦前までうんちは貴重な肥料で、高値で買われていました。うんちの問題は、溜めて発酵させる間、嫌な臭いがしたり、寄生虫の卵が野菜に付いて、食べた人のお腹の中に入ってしまうことです。

 戦後、日本を占領支配した米軍は、うんちを野菜の肥料にしているのを見て驚き、自分たちの野菜は化学肥料で栽培させるようにしました。その後、バキュームカーや下水道の整備、化学肥料の普及などで、うんちが肥料に使われることは次第に少なくなりました。

 もっとも、現在は下水の汚泥を発酵処理して肥料に加工し、使っていますので、うんちを肥料にしているのは今も昔と同じです。家畜のうんちも発酵させることで高熱になり、寄生虫やばい菌などは死んでしまいます。

 窒素・リン酸・カリの3大要素を含む化学肥料は、作物の生長に有効なのですが、それだけでは土壌中の有用微生物が少なくなってしまいます。その点、有機質から作られる堆肥は微生物の食料になり、また土壌を軟らかく、空気を含みやすいように改良する作用もあります。

 お父さんがうんちについて事前に調べておいて、うんちくを傾けると、子供も見直し、お父さんを尊敬するようになるかもしれません。

自分でうんちができる

 昔話風の『モチモチの木』(作・斎藤隆介、絵・滝平二郎、岩崎書店)は、峠の猟師小屋でじさまと暮らす豆太のお話です。

 豆太は5歳になっても夜中に一人でせっちん(便所)に行けません。せっちんは外にあり、その横にある「モチモチの木」と名づけた大きなトチの木が怖いのです。じさまは、どんなにぐっすり眠っていても、豆太の「じさまぁ」の一言にすぐ目をさまし、真夜中にせっちんに連れて行ってくれました。

 そんなある晩、じさまが腹痛で苦しみだします。じさまを助けるには暗闇の中、半里(約2キロ)も離れたふもとの村まで医者を呼びに行かなければなりません。豆太は勇気を振り絞って医者を呼びに行き、じさまは助かりました。

 そのとき、じさまの話していた木に雪明かりがともり、豆太は、モチモチの木とはこのことだったのだと知ります。しかし、相変わらず豆太は、じさまを起こさないとせっちんに行けないのでした。

 豆太の父親はクマと闘って死んだほど度胸のある人で、64歳のじさまだって、カモシカを追いかけています。それなのに、どうして豆太だけがこんなに臆病なんだろう……

 幼児にとって排泄は、自分の力だけで覚えて、しなければならない行動の一つです。それに伴う不安や、乗り越えるための勇気は、大人の想像を超えています。大人も大変な思いをしてうんちの仕方を覚えたのですが、そんなことは忘れてしまっています。

 責任感ゆえに子供に圧力をかけがちな両親とは違い、やさしく見守るおじいさんやおばあさんがいると、子供はほっとできるのです。