2021.06.27 13:00
信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(7)
家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。
金元弼・著
第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々
礼拝とその準備
先生が礼拝をどのようになさったか、その時の様子をお話ししたら、もっとよく分かるだろうと思いますので、そのことをお話ししましょう。
まず、先生は、牧会を通じて新しい生命を求めてきた人たちを、どのように復活、再生、よみがえらせるかということです。今死にかかっている患者を、これからどのように生かすかという深刻な立場に立って、取り組んでいらっしゃることが分かりました。それは、ちょうど死にかかっている人を、いかに生かすかというお医者さんのような、深刻な立場だと思えば、理解しやすいと思います。そういうことですので、先生は礼拝の前日は、一晩中休むことなく、礼拝に参加する人々のためにお祈りをされました。
み言を受ける人も、自己を分別して、先生のみ言がすぐに受け入れられるように準備をしました。先生が私たちにお話ししてくださったように、1時間のみ言を語るためには、その3倍のお祈りをしなければいけません。先生は、日曜日のみ言を語るのに、神様のためにずーっとその前日の夜を、お祈りで過ごされたのです。
亡くなった劉孝元(ユ・ヒョウォン)協会長は、先生とは違って、常に準備して、全部原稿に書いてお話をする方でした。しかし、先生はいつも劉協会長に、「語る言葉の準備に、三倍のお祈りをしなさい」と語って、先生御自身のことをお話ししてくださいました。「食口のためにお祈りしなさい」と。
その当時、先生は一つの小さな部屋をもっていらっしゃいました。冬は、非常に寒い部屋でした。そういう所で先生はお祈りをされるのですけれども、そのころは、朝の10時に礼拝を始められました。先生は10時になると、先生の部屋、そこはお祈りの部屋を兼ねていましたが、そこから出てこられて、直接礼拝の司会をなさいました。
先生の部屋といっても、礼拝をする部屋のただ一つのふすまを開ければ、そこが先生のお部屋でした。先ほどお話ししたように、先生は死んだ人を生かすための手術をするドクターのような立場ですので、礼拝は非常に熱烈極まるものでした。先生は自ら賛美歌を歌われましたけれど、賛美歌を歌いながら、多くの涙を流されました。賛美歌を歌う時から、祈る時、そして説教する時にも、相当の涙を流されました。先生は、最初から最後まで礼拝を主管され、そこに集まっていた食口たちも、全員涙でいっぱいでした。
そういう礼拝の雰囲気に入ってくると、賛美歌を歌ううちに、あるいはお祈りしているうちに、たくさんの霊的現象が起こりました。もちろん霊能者が多いということもありますけれども、そうでない人も、そういう雰囲気に入ると、新しい霊的体験をしました。ある人が準備しないで参加したり、あるいは疑う心をもっていたりすると、霊能者が様々なかたちで働き掛けました。それゆえに、その当時、礼拝に参加する人たちは、お祈りの準備をしてやって来たのです。先生は、霊的な現象があっても、全然止められませんでした。けれども今は、それを全部止めていらっしゃいます。
ですから、私たちがベルベディアの礼拝に参加する時には、そういう準備をしなくても済むかもしれませんが、もし最初の時にそうであったならば、大変うるさいことがたくさん起こったと思います。礼拝に参加する時に、神が喜ばない心をもっていると、非常に怖いといった感じも受けました。
好奇心から、教会のことを調べたい、知りたい、尋ねたいということで、いろいろな人が礼拝の時に訪ねてきました。そういう時は、心霊が良い状態ではないのです。そういう人は、ほとんど礼拝のために準備をしていない人たちです。そうすると、今まで祈っていた霊能者の一人が、目も開けずに立ち上がって、その人の肩を強く打ちました。そういうことが起こってきます。そうすると、反対しようとしていたのに、すぐに涙を流しながら、自分の誤った心を悔い改めるという現象が起こりました。
そして、ある日曜日の朝のことです。いつも聖日礼拝の前日には、幾人かが来てお祈りをして、泊まっていました。ちょうど朝4時ごろに、その時は眠っていたのですが、ある霊能者が霊に導かれて教会へ入ってきました。寝ている所、真っ暗な所に入ってきて、「今このような時なのに、こんなに遅くまで眠っているのか」ということで、全員が起こされてお祈りをしたこともありました。
礼拝が10時からだとすると、礼拝に参加するために前日から、あるいはいくら遅くとも二時間前には教会に来て、お祈りして準備をするのが常識のようになっていました。幾人かではなく、全部の食口たちが前日に来るか、あるいは2時間前には来て、礼拝に臨みました。なぜならば、「み言、天の恵みを受け入れる心の準備をしていない」と霊能者に言われるし、打たれるので、誰が何と言おうとも、早く来るようになりました。
食口たちがお祈りをして10時になると、先生がその部屋から礼拝室に入ってきて、礼拝をされます。ですから、礼拝の時には、心の状態は非常に授受しやすい、そういう立場に立つので、その礼拝はスムーズに進み、大変熱気にあふれました。
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次回は、「礼拝参加者の心得」をお届けします。