2021.05.26 17:00
中和新聞セレクト Vol.1
真の世界平和を求めて~人類的課題と根本的解決の道
統一運動の情報から国内外のニュース、各種講座に至るまで、さまざまなコンテンツを毎週2回(火、金)配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
第1弾は「真の世界平和を求めて~人類的課題と根本的解決の道」(ナビゲーター:魚谷俊輔氏)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
同コンテンツは『中和新聞』2017年5月~2019年11月に全24回で配信されたシリーズです。
第11回 アフリカの未来を開く統一運動
アフリカは、21世紀の世界で最も大きな経済成長が期待されている地域ですが、近世以降は奴隷貿易と植民地化によって苦難の歴史を歩んできました。今回は、アフリカ諸国が抱えてきた問題と未来の希望を概観しながら、韓鶴子総裁(真のお母様)が、この地域の未来を開くために開催された「ワールドサミット・アフリカ2018」の意義について解説します。
■近世以降、第2次世界大戦終了までの受難
アフリカ大陸は人類誕生の地と言われ、エジプトやエチオピアの古代文明に代表されるように、人類歴史において先駆けて高度な文明を築いた地域でした。
しかし大航海時代が到来すると、アフリカ回りでインドを目指すヨーロッパ諸国の人々が、西海岸を南下し始め、15世紀末頃から、アフリカの原住民を奴隷として売買する貿易が行われるようになります。そして約300年間にわたり、1000万人を超えるアフリカ原住民が、西インド諸島やアメリカ大陸に売られていったのです。
宗教的・人道主義的見地からの批判によって奴隷貿易が禁止されるようになったのは、19世紀初頭に入ってからでした。
ところが19世紀後半に入ると、ヨーロッパの新興工業国であるイタリア、ドイツ、ベルギーなどがアフリカに進出。古くから進出していたポルトガル、スペイン、イギリス、フランスとの間で植民地の争奪戦が起こります。その結果、リベリアとエチオピアを除くアフリカの全土がヨーロッパのわずか7か国によって分割支配されるようになったのです。
アフリカ社会は、この奴隷貿易と植民地化という2つの受難によって、伝統や社会構造、経済が破壊されました。
アフリカの大部分の国が独立を勝ち取ったのは第2次世界大戦終了後です。そのほとんどは1950年代から1960年代にかけて独立を果たしています。
■独立を果たしても、なお続く苦難の歩み
ヨーロッパの旧宗主国は、アフリカの民族や部族の構成を無視して植民地分割を強行しました。
現在、アフリカに存在する「国家」は、植民地時代の境界線をそのまま引き継いで独立したため、1つの民族が複数の国に分断されたり、仲の悪い民族同士が1つの国で共存したりする状態が生じました。これがよく言われるアフリカの「部族対立」を生み出す原因です。
ところで、「アフリカ」と聞くと、「飢餓と貧困」を連想する人が多いかもしれません。このようなイメージが定着したのは、1980年代前半にアフリカを襲った干ばつと、それ以降20年間にわたって低開発が続いたからです。
また、2000年頃までアフリカ経済がほとんど成長しなかった要因として、クーデターや反政府武装闘争に代表される政情不安、内戦、対外戦争、経済政策の失敗、独裁者による国庫の私物化など、主としてガバナンス(統治)に関わる人為的なものが挙げられます。
独立はしたものの、国の統治がきちんとできないのは、ヨーロッパ人の搾取によってアフリカの文化が破壊されたからであり、植民地時代の「負の遺産」によるものと言ってよいでしょう。
■「援助対象国」から「新しいアフリカ」へ
日本は、このようなアフリカ諸国を「援助対象国」と認識し、1980年代から毎年10億ドルを超える「政府開発援助(ODA)」を供与してきました。また1993年以降、6度の「アフリカ開発会議(TICAD)」を開催し、アフリカの開発に大きな関心を寄せてきました。
そのような中、2002年頃からアフリカ諸国は突如として急成長を遂げるようになります。2003年から2008年の5年間で、サハラ以南(サハラ砂漠より南の地域)のGDP総額は2倍以上に増えました。
2007年には、世界からアフリカに流れ込んだ直接投資の総額が、世界のODA総額を上回るようになり、それまで「援助対象地」だったアフリカが、ビジネスのための「投資先」に変貌を遂げたのです。
現在、アフリカの経済成長の起爆剤は、石油、プラチナ、金、ダイヤモンド、ニッケル、バナジウム、クロム、コバルト、銅、ボーキサイトなどの資源開発への投資です。これらの投資を背景に著しく成長する姿は、「新しいアフリカ」の出現と理解されています。
■発展のための具体的提案がなされたサミット
文鮮明総裁・韓鶴子総裁ご夫妻(真の父母様)は、1970年代からアフリカに宣教師を送って開拓の道を歩んでこられました。その結実とも言える行事が、2018年1月18日から19日にかけて西アフリカのセネガル共和国で開催された「ワールドサミット・アフリカ2018」です。
「新しいアフリカ、共生・共栄・共義」をテーマとする同サミットは、天宙平和連合(UPF)と世界平和国会議員連合(IAPP)が共催し、セネガルの政府および国会が全面的に協力。アフリカ諸国を中心に世界60か国から国会議員、宗教指導者、部族長など約1200人の各界指導者が参加しました。
セネガルのマッキー・サル大統領と韓総裁が基調講演を行った開会式(2018年1月18日)では、人格教育プログラム、アフリカを縦断する国際ハイウェイの建設、コーヒー農園プロジェクトなど、アフリカがさらに発展するための具体的な提案がなされました。
また韓総裁は、セネガルの首都ダカールの沖合にある「ゴレ島」を訪問(2018年1月19日)。16世紀から19世紀にかけて奴隷貿易の一大拠点だった同島で、アフリカの悲劇の歴史の痕跡をたどりながら、積み重ねられたアフリカの人々の恨を解くための深い祈りを捧げられたのです。
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次回(6月2日)は、「性モラル崩壊から青少年を救う純潔運動」をお届けします。
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