2021.03.20 22:00
私の心の中にいる神様 61
出会って30年、初めて聞いた妻の本音
良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚(とら)われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。
出会って30年、初めて聞いた妻の本音
6500双の祝福を受け、妻とは30年以上の付き合いになります。
妻は穏やかな人で、けんからしいけんかもなく過ごしてきました。
私はずっと教会のスタッフという立場で歩んできました。
ある時、人間関係がうまくいかないことがあり、家で「人間関係って疲れるね」とつぶやいたことがありました。
妻は「ふーん」という反応だったので、私は少しイラッとして、「疲れると思わないの?」と聞いたら、「分からない」と答えました。
納得できず、さらに「どうして分からないの?」と聞いたら、「人間関係で悩んだことがないから」という返事です。私はさらにイラッとして、「人間関係に真剣じゃないんじゃないの」と意地悪なことを言ってしまいました。それでも妻は、「そうかもね」という穏やかな反応でした。
そういう中、私は自己牧会プログラムに出合い、いろいろなワークを実践するようになりました。
ある時、私がワークの恩恵について妻に話したところ、妻は「本当にお父さんはワークのおかげで解放されてきたね。私も解放されたい」と言いました。
そして、長年の積もり積もった思いを語り始めたのです。
私はそれまで、妻に針の先ほども気を使わずに暮らしてきました。やりたい放題、伸び伸びと過ごしてきました。
長男を授かった時も、彼女は体重が落ち、やせ細って大変だったのですが、私は毎日変わりなく、朝家を出たら夜の11時過ぎに帰宅、という生活を続けていました。彼女がご飯を食べたかどうかも全く気にせず、彼女の横で熟睡していたのです。
妻は体調が悪くても一人で育児を頑張り、一言も文句を言いませんでした。
彼女の話は、そこから始まりました。
最初、私はソファにもたれて聞いていましたが、次第に「これは姿勢を正さないといけない」と思わされ、最後は「申し訳ありませんでした」と謝罪しました。
私は妻のことを、「愚痴を言わない人」と思い込んでいましたが、こちらが聞く姿勢を持つと、意外に「愚痴を言う人」でした。
それを知ってからは、きちんと妻の話を聞くようになりました。
聞くときは、自己牧会プログラムの教えに従い、「共感する」という基本の基本を大事にするようにしています。
以前だったら、何かアドバイスしなければならないと思うあまり、「でもみ言はこうだから」みたいな対応をしたかもしれません。
でも今は、「ああ、大変だね。よくやっているね」と、寄り添う言葉が自然に出てくるようになりました。すると彼女も「聞いてくれてありがとう」と、晴れやかな顔になるのです。
自分のこと、妻のことを理解しているつもりでしたが、ワークを通して心が整理されてくると、分かっていないことがたくさんあったなと、50歳になった今、ようやく気付くようになりました。
今もまだ分かっていないことがたくさんあると思いますが、家族で一緒に座ってご飯を食べているだけで「今ここが天国だな」と思えるようになったことが感謝です。
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次回(3月27日)は、「生きていて良かった、祝福を守ってきて良かった」をお届けします。